このページでは、みんながデタラメに入力した二つの数字の組から円周率を計算している。 その原理は、ランダムな二つの自然数が互いに素になる、 つまり最大公約数が1になる確率が \[ \frac{6}{\pi^2} \] になることである。
なぜそうなるかは、オイラーが解いた有名なバーゼル問題から説明する必要がある。
バーゼル問題とは、今の言葉で言うと、次の\( \zeta \)の特殊値に関する問題である。 \[ \zeta(s) = \frac{1}{1^s} + \frac{1}{2^s} + \frac{1}{3^s} + \dotsb \] この関数の\( 2 \)での値を求めることができるかが、何人もの数学者を悩ませた17世紀から18世紀にかけての有名な難問だった。 オイラーはこの問題に次の驚くべき解を与えた。
\[ \zeta(2) = \frac{1}{1^2} + \frac{1}{2^2} + \frac{1}{3^2} + \dotsb = \frac{\pi^2}{6} \]
なぜここで円周率\( \pi \)が出てくるのかは、本当に不思議である。 この問題にはいくつもの解放があり、オイラーが与えた\( sin \)関数の無限積に帰着させる方法や、様々な単純な形の関数のフーリエ展開に帰着できる。 興味がある方はWeb上にもいくつもの簡単な説明や詳しい説明があるので、ぜひ調べてほしい。
ちなみにオイラーはさらにすべての偶数での特殊値を与えている。 しかし、奇数での特殊値は、\( \zeta(3) \)が無理数であること、\( \zeta(5),\zeta(7),\zeta(9),\zeta(11) \)のどれかが無理数であることなど、 わずかなこと以外何もわかっていない。 これらのことは非常に興味深いが、とりあえずそれらはここでの話には深く関係しない。
オイラーが発見したこともう一つの驚くべきことで、しかもここでの話に深く関係するのは、この\( \zeta \)関数が、次の無限積で書けることだ。
\[ \zeta(s) = \frac{1}{1^s} + \frac{1}{2^s} + \frac{1}{3^s} + \dotsb = \prod_{p:\text{素数}} \frac{1}{1- \frac{1}{p^s}} \]
これをオイラー積と呼ぶ。 この目覚ましい式変形は、素因数分解の一意性から導かれる。 オイラー積の因子(オイラー因子と呼ぶ)は、よく見ると、
\[ \frac{1}{1 - \frac{1}{p^s}} = 1 + \frac{1}{p^s} + \frac{1}{(p^s)^2} + \frac{1}{(p^s)^2} + \dotsb \]
というように、等比数列の無限和に展開できる形である。 すると、オイラー積全体は、
\[ \prod_{p:\text{素数}} \frac{1}{1- \frac{1}{p^s}} = (1 + \frac{1}{2^s} + \frac{1}{(2^s)^2} + \dotsb)(1 + \frac{1}{3^s} + \frac{1}{(3^s)^2} + \dotsb) (1 + \frac{1}{5^s} + \frac{1}{(5^s)^2} + \dotsb) \dotsm \]
と変形され、右辺をさらに展開すると、
\[ 1 + \frac{1}{2^s} + \frac{1}{3^s} + \frac{1}{(2^s)^2} + \frac{1}{(5^s)} + \frac{1}{(2^s)(3^s)} \dotsb = \frac{1}{1^s} + \frac{1}{2^s} + \frac{1}{3^s} + \frac{1}{4^s} + \frac{1}{5^s} + \frac{1}{6^s} + \dotsb \]
となり、まさに\( \zeta \)関数が現れるのだ。
これによって、\( \zeta \)関数と素数全体が関連付けられる。
ここで、冒頭の確率に話を戻そう。そしてそれがどう\( \zeta \)関数と関係するかを見よう。
素数を一つ固定した時、\( M \)以下の数が、素数\( p \)で割り切れる確率は、 \( \frac{[\frac{M}{p}]}{M} \)となる。 ここで\( [ x ] \)は\( x \)以下の最大の自然数を返す関数である。
この\( M \)を大きくしていくと、この値は\( \frac{1}{p} \)に近づいていく。 これがランダムな数字が\( p \)で割り切れない確率である。
ここから、ランダムな二つの数字の組が両方共\( p \)で割れる確率、 つまり\( p \)を共通因数として持つ確率は、\( \frac{1}{p^2} \)になることがわかる。 すると、ランダムな二つの数字が\( p \)を共通因数として持たない確率は、補事象を考えればよいので、\( 1 - \frac{1}{p^2} \)になる。
二つの数の組が互いに素であるためには、あらゆる素数を共通因数として持たなければいい。 また、それぞれの素数に関して、それらを共通因数として持つ事象は互いに独立であるので、 それらが同時に成り立つ確率を求めたければ、それらをただ掛けあわせればよい。 するとランダムな二つの素数が互いに素な確率は、 \[ \prod_{p:\text{素数}} \bigl( 1 - \frac{1}{p^2} \bigr) \] であることが分かる。 これは先ほどのオイラー積表示の逆数に他ならない。 よって結局、求められた確率は \[ \frac{1}{\zeta(2)} = \frac{6}{\pi^2} \] であることが分かったのである。 これはまさに示したいことであった。
これにより、このページでは読者によって与えられたランダムな二つの数によって、円周率を計算出来るのである。 具体的には求められた確率で\( 6 \)を割り、平方根を求めている。
もちろん、無限個ある自然数を全て同じ確率で与えることは不可能である。 人類がこの先何億年存続しようとも、その間に考えることができる自然数は有限であり、 人類がその間に一度も考えたことがないような巨大な数が必ず存在する。
なので多分、少数第一位すら合わないと思うが、あくまで「ネタ」なので多めに見て欲しい。
義務教育を受けた者ならだれでも知っていることをわざわざ書くのも馬鹿らしいが、 \( \pi \)にはすべての真実が書き込まれている。 小学校の教室で、最近世界で起こった様々なニュースの予言を、 \( \pi \)の数列の中に探す実習を覚えている方も多いだろう。 様々な間隔で数字を拾っていき文字に対応させることにより、誰も予想してなかったように思えた大事件が、 実はこの世界が始まったときから決められていたことが分かるのだ。 その時の感動は忘れえない。
このことを古代の人々も分かっていたのだ。 良く知られているように、大ピラミッドの底面の辺一周の長さを高さの二倍で割ると、\( \pi \)に非常に近い値が得られる。 また囲み石の長さなどに簡単な数学的操作を加えることにより、365という数字や、地球の自転軸や極半径などの長さが計算できるのだ。 これはまさに黄金時代の先祖の異形であり、時代を遡れば遡るほど人間は賢く長生きで身長も大きくなり、偉大であったことの証左であろう。
ヘロドトスが書いたピラミッド内部の文書とは、実はピラミッドの構造の中に書き込まれていたのだ。 だからこそ、列強各国はエジプトにピラミッド学の権威らを調査隊として派遣し、そこから古代の哲学者ヘルメス・トリスメギストスの叡智を読みだそうとしているのだ。 そこに記録されている未来の出来事を知ることが、世界の覇者となるための鍵なのだ。 彼らは内部の通路の長さを正確に測り、メシア再臨の日を割り出しているという。 我々の国家も、メートル法などという恣意的な単位系を廃し、早急にピラミッド・インチや神聖キュービットなどの普遍的なものに変えないと、産業や軍事などで世界に後れを取ってしまうかもしれない。 ぜひまだ間違った知識に汚染されていない子どもたちが最初に触れる単位系にすべきだろう。
しかし、世の中には罰当たりな人間もいる。 その中で最も罪深い連中は、なんと\( \pi \)の実在性に疑いをはさむのだ。 彼らはきっと自分で自分が何を言っているのかすら分からないに違いない。
彼らの屁理屈を何とか理性的な言葉に翻訳して書くならば、 彼ら\( \pi \)などの数学的対象は、人間の精神の産物であるというのだ。 それによれば、例えば\( \pi \)の無限小数の中に\( 0 \)が\( 100 \)個続く部分があるかどうか」という問題は、 実際に円周率のそんな部分が見つかるか、「そんな部分がある」という仮定から矛盾を証明する方法が構成されるまで、 真でも偽でもないという。
もし彼らの言うことが本当なら、\( \pi \)の中にすでにすべての真実が書き込まれているという、我々の大前提が崩れてしまう。 それだけではない。彼らの説では、数学が、例えばピラミッドを建てるなどの様々な応用を持つことを説明できない。 この世界という書物が数学という言語で書かれていないならば、なぜピラミッドの内部では、植物の成長が促進され、物が腐りにくくなり、傷の治りが早く、 剃刀の寿命は長くなり、食品の味がマイルドに変わるのだろうか。 これでは、この数学の応用力は端的に奇跡となってしまうだろう。
彼らなど要は科学革命の亡霊、このルネッサンスの時代に生きるアナクロニストであり、アクエリアン・エイジによるポストモダニズムの科学反革命によって滅ぼされていなければいけない輩なのである。
一体どんな教育を受ければ、こんな世迷い事が頭から湧くのやら。 \( \pi \)にすべての真実があらかじめ書き込まれているということを理解していれば、 教育とはすでに与えられた真実をひたすら覚えることに過ぎない、という簡単な事実が分かろうものを。 そうすれば、教師の言うことをひたすら反復し、頭に刻み付けるという単純な作業だけで、世界の真実が手に入るというのに。 もしすでに知られていない知識を得たければ、ひたすらカノンである\( \pi \)を深く読み込み、解釈し続けるしかない。 なぜ、自分の頭で考えるなどという無駄で罰当たりなことが出来ようか。
私は彼らの意見を否定するために、我々の研究の定番に訴えることにした。 \( \pi \)の中に決着を見つけるのだ。
私は国会図書館の閲覧室で暗黒通信団発行の1億桁表を紐解き、眼光紙背に徹す意気込みで読み解いた。 数値を様々な法則で拾い上げ、それを秘密のヘブライ文字に対応させ、それを並び替え、 また数値化し、代数的操作を施し、瞑想し、発想を飛躍させていく。 別に難しいことではない。高等教育を受けた者なら、誰しも身に着けているカバラの技法。 しかし、今回ほどの集中力でそれを行ったのは、私も初めてだった。 私はアイン\( =0 \)からアイン・ソフ\(=00 = \infty \)が生まれるのをこの目で見、 アイン・ソフから生み出されたアイン・ソフ・オウル\(=\)無限の光の中で、 ケテル\(=\)王冠からコクマー\(=\)知恵やビナー\(=\)理解などがマルクト\(=\)王国、 すなわちこの物質世界にまで流出するさまを感得した。
確かに\( \pi \)には答えがすでに書かれていた。 それは\( \pi \)には答えなど書かれていない、という内容だった。 ある読み方をすれば、確かに\( \pi \)には答えが書いてあり、すべてのことは真か偽かがあらかじめ決まっていると書いてあった。 しかし別の読み方をすれば、あることの真か偽かは、それを正当化したときに初めて分かることだった。
どういうことであろうか。恍惚の瞬間が終わった後には、困惑と困惑した私だけが残った。 \( \pi \)から二つの互いに両立しえない二つの意見が同時に出てしまった。そんなことがあり得るのか。 これはつまり\( \pi \)が矛盾しているということであろうか。 もしそうなら\( \pi \)を使えばあらゆることが証明できてしまう。 つまりこの世界ではすべてが真であり偽なのだ。 そんなのはおかしい。 しかしそれがおかしいとすると、\( \pi \)から矛盾が示せることから、\( \pi \)の存在が否定できてしまう。 \( \pi \)が存在しなければ円も存在しない。日本経済の崩壊である。 それもおかしい。
このアンチノミーをどうすればいいのか。 このアンチノミーをどう生きればいいのか。