淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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Πάντα ῥεῖ

骨の語った物語

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骨の語った物語

この話は私が高校生の2年生のときに始まります。

 クラスメイトのデブでオタクの馬飼野君は学校で一言もしゃべらないことで知られていましたが、ただ独り岩野君だけが馬飼野君は人のいない所に連れ込んで思い切り下っ腹にボディブローをかましてやると、その震える唇から美しい古の物語を紡ぎだすことを知っていたのでした。

 二学期の中間テストも終わって一息ついたその日も岩野君は鍵をかけられて物置と化していた屋上へのドアの前で馬飼野君に強烈な一撃を腹部に抉りこませていました。しかしその日半死半生の馬飼野君が語り出したのは遠い過去の物語ではありませんでした。

 「岩野君」と馬飼野君は言いました。「あなたの妹は実は人食い鬼です。明日あなたが家を出た後、あなたの父親と母親は食われてしまい、何も知らないあなたが家に帰ればやはり、彼女の餌食となってしまうでしょう」。岩野君は驚いて、「そんな馬鹿なことがあってたまるか。俺の親父もおふくろも普通の人間だ。そこから人食い鬼が産まれてくるはずがないだろう」、と初歩の遺伝学を使って反論します。しかし憑依状態の馬飼野君は慌てず騒がず、「実はあなたの父親はあなたの妹の本当の父親ではありません。実は彼女の父親はB組の腰崔君なのです」と説明しました。岩野君は腰崔君とは幼稚園からの幼馴染でよく知っていましたが、確かには彼は不死身の人食い鬼でしたので納得せざるをえません。妹の八重歯にしては大きすぎる牙のことも思い出されます。

 岩野君は、馬飼野君の襟首をつかみ、がくがく揺さぶりながら、「それじゃ俺はどうしたらいい」と訊きました。「3年に魔女がいると聞きます。もし彼女が見つかれば、助けてくれるかもしれません」。そこまで言うと馬飼野君は息を引き取ってしまったので、岩野君は仕方なく馬飼野君の死体をそこに放置して、家に帰ることにしました。

 次の日、岩野君は暗い顔をして家を出ました。一晩かけてもなんの解決策も出てこなかったからです。家を出るとき、父親と母親、そして中学3年の妹に笑顔で見送られましたが、恐らくもう妹は父と母をその牙の餌食にしてしまっていることでしょう。今日、家に帰るまでに何とかしなくてはいけません。

 歩いていると、二人の年取ったお針女に会いました。岩野君は意を決して、自分を引き取って一緒に暮らして欲しいと頼みました。すると二人は言いました。「岩野君、私どもはよろこんであなたを引き取りいたしたいとは思っております。しかし、私たちは、もういくらも生きてはいられないのです。この針箱をすっかりこわし、糸箱をぬいあげましたなら、まもなく死がやってくることになっております」。岩野君は泣きだし、さらに先へ進みました。

 長いこと進んで行くと、ヴェルトドゥープのところに近づきました。そこで、「俺を引きとってくれ」と頼みました。「岩野君。よろこんであなたさまをお引き取りしたいとは思いますが、私に残されました命ももう長くはございません。ほら、この樫の木を残らず根こそぎひきぬきましたら、すぐに私は死ぬことになるでしょう」。岩野君は前よりもっとはげしく泣き、さらに先へ先へと進みました。

 やがてヴェルトゴールに近づき、同じようなお願いをしましたが、その答えも、「岩野君、よろこんであなたを引き取りたいとは思いますが、私自身、もういくらも生きていられないのです。ごらんの通り、私は山をひっくりかえすためにここにすえられている者ですが、この最後のいくつかの山をすませれば、すぐに私も死ぬのです」。岩野君ははげしく泣き、さらに先へ行きました。

 長く長く歩いて、とうとう学校に着きました。岩野君は授業を受ける気にはとてもなれず、保健室に行くことにしました。ドアを開けると部屋の中には誰もおらず、それどころか養護教諭の姿も見えません。岩野君はベッドにギシリと言わせながら深く座って頭を抱えます。そうして胸のつっかえを吐き出そうとするようにためいきをついておりますと、どこからともなく、

 「何か悩んでいるようね」

 と声がしました。岩野君は驚いて顔を上げ、

 「誰だ!?」

 と誰何します。しかしやはり保健室の中には自分以外の人影は見当たりません。そのとき岩野君は窓が開いていて、カーテンが窓の外へと風で引きずり出されているのを見つけます。もしかしたら外にいるのかもしれないと思って、彼は窓に走りよって外を見ます。しかしそこには誰もいません。と思った瞬間、突然風向きが変わり外に靡いていたカーテンが保健室の中に吹き寄せられ、勢いよく岩野君の顔を打ちました。そしてもんどり打って尻もちをついた彼が鼻を撫でながら顔を上げると、風に弄ばれるカーテンに体を撫でられるようにしてそこに立っていたのは、一人の女子生徒でした。腰まである美しい緑の黒髪が風に暴れるのを少し鬱陶しそうにしながら、同じように風に乱されるスカートにはほとんど注意を払っていないらしいその姿を見ながら岩野君は、彼女がどこから現れたのか不思議に思っていましたが、その上履きに入ったラインの色を見て彼女が3年生であることに気付きます。そして彼女の姿をもう一度見直しますと、その制服は形だけは確かにうちの制服であるようですが、セーラーのカラーも胸のリボンも全て彼女の髪や瞳と同様輝くように黒く、それが髪に縁取られた顔やスカートとニーハイソックスの間に覗く太ももの白さを際立たせています。そして翻るスカートの中から一瞬ほの見えた下着もまた黒色であることを発見して、岩野君は彼女が昨日馬飼野君が言っていた魔女に違いないと確信しました。魔女でもなければ女子高生がそんな下着を穿くはずがないと彼には思えたのでしょう。

 「助けてくれ、俺はこのままでは妹に食われてしまうんだ」

 岩野君は彼女の腰にしがみ付くようにして助けを求めます。

 「まあまあ、少し落ち着いて。まずは詳しい話を聞かせて頂戴」

 彼女は本来養護教諭が座るべき椅子に座って美しい足を惜しげもなく見せて高々と組みあげると、岩野君に話しかけました。

 「私の名前は、真理亜。森椈真理亜よ。よろしく」

 岩野君は自分がこのままでは授業が終わったら家に帰らざるを得ず、そして家に帰れば妹に食い殺されざるを得ないことを懸命に説明しました。彼の必死の説明を聞き終わると真理亜は指に挟んでいた葉巻をベッドの脇の灰皿に置くと、むき出しの白い足を黒いショーツに通しながらベッドから床へと降り、そして後ろ手で黒いブラジャーのホックを止めます。岩野君は裸でシーツに包まったまま、その姿に呆けたように見とれるしかありません。

 「分かったわ。協力してあげる」

 真理亜がそう言うと、思わず正気に帰った岩野君は喜びの声を上げます。

 「でも、その前に」

 それを押さえるように真理亜はその漆黒の瞳で彼を見据えて言います。

 「あなたの力を確かめさせてもらうわ」

 「一体何をすればいいのか。言ってくれればなんでもやる」

 岩野君は自信ありげに言います。それに対して真理亜は少し冷ややかな笑みを浮かべて、

 「私の家畜たちの世話をしてもらいます。私の家畜たちが逃げ出さないように一日見張っていられたら、あなたの力になってあげてもいいでしょう」

 と言い渡しました。

 そうして2人は服を着ると、森椈真理亜の家畜小屋に向かいます。そこは1年のA組の教室でした。そこの生徒たちは男も女も皆、真理亜の姿を見ると舌を出して彼女の足や手を舐めようと、そして撫でてもらおうと寄ってくるくらい彼女に懐いていました。

 「この子たちはみんないい子たちだけど、ちょっと腕白なの。だから授業の間、座っていることが出来なくてね。先生たちが困ってるのよ。なんとかこの子たちを一日の授業が終わるまで机に座らせていて欲しいの」

 そう言われて岩野君は、これは難題だぞ、と思いました。自分が授業に集中できないのに、どうやって人に集中させることができるのでしょうか。

 「おい、お前座れよ」

 と一人を席に付かせているうちにほかの2人が席を立ってふらふらと歩いて行こうとしてしまいます。これではまるでシーシュポスの岩です。岩野君はたちまち目を回してしまいそうになりました。しかしここで頑張らなくては後がありません。

 「こうなったら智恵を使うしかない」

 そこで岩野君は体育倉庫からたくさんのロープを持ってきて生徒たちを椅子に縛りつけました。そうすると生徒たちは勝手に立つことができなくなり、一見授業を真面目に受けているように見えるのです。これには先生たちも満足の様子。ただ、椅子から立ち上がることができないので、食事や排泄の世話は岩野君がやってあげなければいけませんでしたが、言うことを聞かない生徒たちを席に付かせ続けるという終わりのない苦行と比べれば、努力すればちゃんと結果の出る作業はむしろ喜びですらありえたのです。

 授業が終わって喜色満面の先生たちが教室から去り、生徒たちも家に帰して、糞便で汚れた床を懸命に拭いていると、森椈真理亜が教室の入り口に現れました。

 「どうやら何とかやってるみたいね」

 こうして岩野君は森椈真理亜の保護下に入ることになりました。岩野君はその日から保健室で寝泊まりして、保健室から登校するという、いわゆる保健室登校で学校生活を送ることにしたのです。

 こうして岩野君は真理亜の胸の中で寝起きする幸せな数週間を過ごしたのです。真理亜はまるで自分の息子を面倒みるように、たっぷりと食べさせたっぷりと飲ませてくれました。どうやら養護教諭も真理亜の配下であり、何の問題もないようでした。

 岩野君にとってはここで暮らすのがよかったのですが、しかし、やはりそうはいきませんでした。やがて不意に気が滅入るようになり、自分の家はどうなっているだろうと気がかりになり、ときどき、高い山に登っては、自分の家の方を眺めやり、なにもかも食い尽されて、ただ壁だけが残されている様子を見ると、ためいきが出、涙が流れるということも間々あったからです。

 ある時も、そのように家の方を眺め涙を流して帰ってきました。真理亜が尋ねました。「あなたは今日はなんで泣いているの」。岩野君は「風が眼にしみたからだ」と答えました。次の時も同じようでした。真理亜は、風が吹くのをぴたりと止めてしまいました。三度めも、岩野君は涙顔で帰ってきました。今度はどうしようもありませんでした。総てを打ち明けざるをえませんでした。

 そこで、岩野君は、森椈真理亜に、自分を、立派な勇者を、自分の家に帰らせてほしいと頼みました。しかし、真理亜は許しません。

 真理亜はこれが罠だと気付いていたからです。そもそも岩野君に自分の家を遠くから見るように誘いかけたのは彼の幼馴染の腰崔君でした。しかし実は腰崔君は彼の実の娘である岩野君の妹の情人であり、2人で結託して岩野君を真理亜の保護下から誘い出そうとしていたのです。

 それでも岩野君はぜひと嘆願します。

 とうとう拝み倒し、岩野君は家に帰ることを許されました。

 その代わり、道々の用意のためにと、ブラシと櫛と二つの若返りのリンゴを与えました。人はどんなに年をとっていても、このリンゴを食べれば、たちまちにして若くなる!

 岩野君はそれらを持って久しぶりに学校の正門から歩き出ます、

 岩野君はヴェルトゴールのところにやってきました。山はたったひとつしか残っておりませんでした。岩野君はブラシをとりだすと、野原に投げました。すると、どこから出てきたのか、突然、土の中から高い高い山がいくつも生えてきて、その頂は天にも達するほどです。しかも山はいくつあるか分らないほどでした。ヴェルトゴールは大喜びしました。そして元気に仕事にとりかかりました。

 しばらく行くと、ヴェルトドゥープのところへやってきました。もうたった三本の樫の樹しか残っておりませんでした。岩野君は櫛をとりだすと、それを野原に投げました。するとどこからとも知れず、突然ざわざわという音がして、地の中から、樫の樹のこんもりとして森が現れました。どの樹も他の樹にまけないほどに太い! ヴェルトドゥープは大喜びで、岩野君に感謝し、百年の樫の樹をひきぬきに出かけました。

 しばらく行くと、老婆たちのところへやってきました。2人にリンゴを贈りました。2人がリンゴを食べると、一瞬のうちに若返りました。そこで、岩野君にハンカチを送りました。このハンカチは、ひとふりすると、うしろにほんものの湖が現れるのです。

 こうして、岩野君は家に戻りました。

 妹が走り出てきて岩野君に抱きつきます。

 「お兄ちゃん、お帰りなさい!」

 岩野君はすっかり女らしくなった妹の体の感触にどぎまぎしてしまい、警戒の心を一瞬にして解かれてしまいます。妹は岩野君の手を引いて家に迎え入れ、愛想よく言いました。「さあ、そこにかけて待っててね。すぐにご飯の準備するから。それまでグースリでも弾いててよ。久しぶりにお兄ちゃんのグースリ聞きたいから。」岩野君は腰をおろして、グースリをかなではじめました。

 それを弾いていると、穴の中からネズミが出てきて、人の言葉で言いました。「岩野君。用心して、さあできるだけ早くお逃げなさい。あなたの妹は、歯をとぎに行ったのですから。」

 それを聞いて岩野君はドアの鍵穴を除くと、向こうの部屋で妹が腰崔君と仲睦まじ気に乳繰り合いながらお互いの鋭い歯をとぎあっているのが見えました。それで岩野君にもようやく妹と腰崔君が通じ合っていたことが分かり、自分が罠に掛けられたことを理解しました。

 岩野君は部屋を出ると、馬に乗り、元きた道をもどりました。ネズミがグースリの弦の上を走っていたので、グースリは鳴っておりました。

 妹は兄が逃げ去ったのを知りません。歯をとぎおわって部屋に飛び込んで見ると、人っ子ひとりおりません。ただネズミが穴の中へすべりこんでいっただけでした。妹はカッと怒ると歯を鳴らし、追いかけはじめました。

 岩野君に音がきこえました。ふりむくと、すぐそこに妹がいて追いつきそうです。そこでハンカチをひとふりすると、青い湖になりました。妹が湖を泳いで渡っている間に、岩野君はさらに先へと逃げました。

 妹は前よりもずっと速く追いかけました。ああもうすぐそこです! ヴェルトドゥープは、岩野君が妹から逃げようとしているのを察して、樫の樹をひきぬくと、道の上に投げ倒しました。まるで山ひとつをまるまる投げ倒したように。妹は通り抜けることができません。彼女は道の邪魔者をどけはじめ、咬みに咬んでやっと穴をあけましたが、その間に岩野君は遠くに逃げておりました。

 妹は全速力で追いかけ、走りに走り、ああもうすぐそこです。もう逃げられない! ヴェルトゴールが妹に気付くと、もっとも高い山をひっつかみ、それを丁度道の方に向けました。その山にさらにもうひとつ重ねました。妹がよじのぼりはいつくばっている間に、イワン王子は、走りに走り、遠くへ行ってしまいました。

 妹は山をやっと越えると、再び兄を追いかけはじめました。兄の姿を見ると、言いました。「お兄ちゃん、もう逃げられないよ。」ああもうすぐそこです、もう追いつきます。丁度その時、岩野君は高校にたどりつき、大声で叫びました。

 「真理亜、真理亜! 窓を開けてくれ!」真理亜が保健室の窓を開けると、岩野君は、馬もろとも、窓の中に飛び込みました。妹は、兄の首を渡してくれと頼みました。しかし、真理亜は、聴きいれず、渡しませんでした。

 妹は真理亜のことを泥棒猫だのヤリマンだのビッチだの魔女だのと、兄のことを甲斐性無しだのヒモだのダニだのミツクリエナガチョウチンアンコウだのと罵りながら帰って行きました。

それからまた岩野君はぬくぬくと平和に暮らし、真理亜に勉強も習って文武両道を収めた立派な男へと成長して行きました。

 そして卒業の日が近づいてきました。上級生のはずの真理亜はなぜか保健室の主であり続けましたが、誰もそんなことを気にする人はいません。

 ある日岩野君がぼうっと窓の外を眺めていると、何かの行列が学校の中を練り歩いているのが見えました。それが近づいてくるにつれ天も地も明るく照らされ ました。行列の真ん中を黄金の馬車が宙を飛んでゆきます。連畜には火を吐く蛇。馬車に乗っているのはハイスクールクイーンの恵令奈・プレムードラヤ、帰国子女でチアリーディング部のカリスマキャプテンです。言葉でつくせぬその美しさは、想像することも、話に語ることもできません! 彼女は馬車から降り。黄金の玉座にすわりました。そして鳩を順々に自分のところに呼びよせ、さまざまな智恵を授けはじめます。それが終ると金髪をなびかせ馬車にとびのり、残り香だけを残して行ってしまいました!

 岩野君は彼女に見とれていて、彼女がいなくなってもしばらく眼に刻みつけられたその虚像に見とれていました。一目惚れでした。

 「あの娘が好きなの?」

 岩野君はいつの間にか横に来ていた真理亜の声でようやく正気に返ります。そして自分の心を見透かされたこと、また自分が他の女に恋をしたことを彼女が知ったら彼女がどう思うかを考えて、ドギマギしてしまいました。

 しかし意に反して真理亜はそれに関して特に何とも思っていないようでした。岩野君はそれにホッとするとともに、少し寂しい気もしましたが。

 「あなたももう18歳で男ぶりも良くなってきたから、そろそろお嫁さんを探してもいいころよね。あの娘だったら、美人だし、頭もいいし、あなたの将来に とっても最適だと思う。聞いた話だと、卒業プロムパーティの時に彼女の婿探しの競技会を開いて、そこのキングになった男がクイーンとともに、この学校の次 の支配者になるというわ。彼女を射止めるにはそれに参加しなくちゃね」

 「それならあんたの研鑽のおかげで、この学校に俺に対抗できる人間などひとりもいない。安心だ」

 と岩野君は自信たっぷりに言います。しかし真理亜はそれほど楽観しておりません。まだ腰崔君のことがあるからです。腰崔君の不死身の秘密がまだ解けていないうちは安心できないのです。

 「油断は禁物よ、学校中のジョックどもがプロムキング目指して参戦するでしょうしね。そうね、あなたの修行の最後に、今からあなたには谷峨さんのところに行ってカツサンドを買って貰うわ」

 「ええ!?」

 岩野君は驚きます。いまさらパシリに行かされたことにではありません。

 「谷峨って、あの購買の谷峨ババアのことか?」

 「正確にはバーバ・谷峨だけどね」

 谷峨さんとは高校の購買部の店員さんで、何百年前からいるのか骨と皮だけにまで痩せこけて、脚に至ってはむき出しの骨だけの老婆です。細長い臼の上に座っ ており、右手に持った杵で急かすと、臼が少しだけ浮きあがって、底を少し引きずりながら移動します。左手にはほうきをもっており、移動した跡を消します。

 一回だけ、パンをお金を払わずに持って行こうとした生徒がいたときには、生徒をこの臼でどこまでも追いかけて、とっ捕まえた途端に食ってしまったので、それ以来生徒たちから恐れられているのでした。

 「どうしたの、さっそく怖気づいたの? それが怖いなら、一生私が可愛がってあげてもいいんだけどね」

 岩野君は真理亜の挑戦的な視線に、彼女が自分を試していることに気付き、それ以上に「ここで終わる男じゃないはずでしょ?」という彼女の自分への信頼も感じて、奮い立ちました。

 「恐いはずがあるか。俺は行くよ」

 と言ってさっそく購買に走ります。購買の売店は鶏の足の上に建った小屋で、周りにも内部にも人間の骸骨がたくさん飾られています。しかもその周りには、 丁度お昼ごろですので、昼ごはんのパンを求める生徒たちでごった返して、身動きすら出来ません。中にはこの人ごみの中から抜け出られなくなって、何十年も 押し合いへしあいし続け、この中で恋をし子どもを作り、子どもに看取られて死んでいく人や、ここで生まれて外の世界を知らずにここで死んでいく人たち、自分の妻や夫と抱き合っているつもりが、あまりに込んでいるのでその隣の人間と抱き合ってしまい、不本意な子どもを作ってしまった人や、それどころか同性愛に目覚めてしまった人などがざらにいるのです。

 岩野君は意を決してその人ごみの中に分け入っていきます。パン欲しさに幽鬼のようになってしまった生徒達を男も女も分けへだてなく千切っては投げ千切っては投げ、踏みつけ踏みつけ先へ進みます。そしてとうとう店のカウンターまでたどり着くと、大きな怒号で

 「カツサンド下さい」

 と注文しました。その声に忙しげに働いていた谷峨さんも動きを止めて、岩野君に目をやります。

 「なるほど、あんたが真理亜のところに長逗留しているっていう若い男かね。なるほど真理亜が好きそうな鼻っ柱の強い面構えしてるね。ほれ、これをやるよ!」

 とカツサンドを投げ渡す谷峨さん。岩野君は喜び勇んでそれを保健室まで持って帰ります。それを見て真理亜は今まで見たことがないように優しくにっこり笑って、

 「それはあなたが食べていいのよ。あなたの戦利品なんだから」

 と言って、窓の外に目をやりました。岩野君はカツサンドを頬張りながら、彼女の目が何か寂しげで、同時に決意に満ちていることが気になって仕方ありませんでした。

 そうしてプロムの当日になります。アメリカンフットボールチームのクオーターバックやバスケットボールチームのエースなど何人もの人気のスポーツマン達 がキングの座を狙ってタキシードの下にたくましい体を隠してパーティ会場に続々と結集してきます。そこに岩野君もまた乗り込みました。振り返ると、凝縮した 闇のようなイブニングをきた真理亜が、顔を覆った黒いベールの向こうから目で自分を応援してくれています。それを見て、彼は勇気を出してさらに進みます。真理亜は彼が進んでいくのを見届けると、手に持った扇子で顔の下半分を隠しながら、誰かを探すように周りを見回しているようでした。

 食事が一通り終わったあと、競技会が始まりました。統治者としての実力を示すために、射撃、フェンシング、水泳、馬術、ランニングの近代五種等の体力 を試す競技に、チェスなどの知力を試す競技を加え、次々と参加者が振り落とされていきます。しかし岩野君は今までの修行の成果と、その名を呪文として口にするだけで人を奮い立たせる効果があるといわれる伝説のカツサンドを口にした効果により、とうとう最終選考まで勝ち残りました。その姿にクイーンの恵令奈・プレムードラヤも注目し、その吸いこまれそうな青い目を細め、彼に意味ありげな視線を送ります。そのことに気付いて思わず有頂天になる岩野君、そのこ とに気付いて思わず苦笑いする真理亜。

 しかし最終選考が始まるまでの休憩時間の間、真理亜は少し目を離したすきに岩野君を見失ってしまいました。彼は腰崔君の魔法の霧の中に知らぬ間に囚われてしまったのです。

 お手洗いから会場に戻ろうと廊下を歩いていた岩野君は、ふと道が分からなくなって立ちつくしてしまいました。そこに深紅のイブニングに身を包んだ一人の女性が現れます。岩野君は最初彼女が誰だか分りませんでしたが、なんと彼女は岩野君の妹でした。

 「なぜここに?」

 岩野君は驚きます。

 「おかしくないわよ。だってあたしここに入学したんだもの」

 妹は答えます。岩野君は自分の妹が自分と同じ高校に入学したことも知りませんでした。

 「でもお前が卒業パーティに来るのはおかしいだろ」

 岩野君は混乱しながら言います。

 「お兄ちゃんに会いに来たのよ」

 岩野君の妹はそう言って、岩野君に胸に身を投げました。岩野君は慌てて彼女の体を振りほどこうとしますが、涙ぐんだ上目遣いの視線に気づくと、体が魔法 に掛けられたように動かなくなります。それに妹の高一にしては発育のいい体が、イブニングの大きく開いた背中や胸元から見えるのも気になります。

 「あたしお兄ちゃんに謝りに来たの。全部許してなんてとても言えないけど、それでもお兄ちゃんと離れ離れになったままなんて耐えられないから……」

 妹の涙声を聞きながら、岩野君は頭の中にも霧が掛かったような気分になっていきます。

 「いいんだよ。もう過ぎたことなんだから……」

 岩野君のその言葉に妹は涙にうるんだ目を真ん丸にして彼のことを見上げます。

 「ほんと?」

 「ほんとだよ」

 妹のブラウンの瞳に見つめられると、岩野君にはそう答えるしかありません。

 すると、岩野君の妹はさらに彼に身を寄せ、彼の首に腕を回して顔を近づけます。前に会ったときよりずっと伸ばしていて、肩に届くようになった栗色の髪から、不思議な香りが岩野君の鼻をくすぐります。

 「それなら……」

 彼女は柔らかい体を押し付け、耳に甘く熱い息を吹きかけながら囁きます。

 「そのことを言葉だけじゃなく形で示してよ」

 そう言って素早く岩野君の唇に自分の唇を押しつけました。岩野君は「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」と思いながら、だんだん気が遠くなって行きました。

 その時パーティ会場では、最終審査が始まっていました。そこには驚くべきことに、岩野君そっくりの人が参加していました。彼は立ち居振る舞いや礼儀作法 の審査で完璧な一挙手一投足を演じ、審査員はじめ列席し見守る人びとに讃嘆の念を覚えさしていました。そしてその会場で彼が腰崔君の変装であることに気付 いていたのは、ただ真理亜一人だけでした。

 腰崔君は、次は美しい恵令奈・プレムードラヤをその毒牙に掛け、学園をその手中に収めようと画策していたのです。魔術で武装し不死身になった腰崔君に誰も勝てません。

 真理亜は何とか彼がキングになるのを阻止しようと思いましたが、腰崔君の不死身の秘密もまだ解けず、肝心の本物の岩野君の行方も分からない今、うかつに動けないのでした。

 実は腰崔君は、競技会場から岩野君を排除するために、岩野君の妹を彼のところに送り込んだのでした。岩野君は妹の色仕掛けにまんまと引っ掛かり、腰崔君が用意した魔法の結界が張ってあるので不健全性的行為にうるさい教師や保護者達ですら邪魔することの出来ない別室に、まんまと連れ込まれてしまったのです。腰崔君の計画ではそこで本物の岩野君は妹の手で命を絶たれているはずでした。

 しかしそうはなりませんでした。

 岩野君はベッドの中で妹から、自分が何のために送り込まれたかを聞きました。その話によると、殺そうとは思ったのですが、殺しきれなかったのです。

 そもそも妹が岩野君の母と父を食い殺し、兄もまた同じ運命に合わせようとしたのは腰崔君の命令だったからでした。腰崔君の命令ならそんなことでも平気でするまでに、彼に心を奪われていたのです。

 しかしそもそも岩野君の妹は幼稚園に岩野君を迎えに来た岩野君のお母さんを、同じ幼稚園の園児だった腰崔君が誘惑したことから生まれたのでした。そして今度は、自分の実の娘を唆してかつての恋人を殺したのは、ずっと以前に飽きて捨てた女が、未練がましくつきまとおうとするのが鬱陶しくなってのことだったのです。

 今、腰崔君はまた黄金色に輝く恵令奈・プレムードラヤを狙おうとしています。そうなれば今度は自分が捨てられる番だ、と岩野君の妹は考えたのでした。それで種違いとはいえ、せめて兄だけは救うのが、家族を手にかけた自分ができるせめてもの償いと思えたのです。

 「お兄ちゃん、ここにいては危ないわ。あの人は、自分の野望に邪魔なお兄ちゃんを必ず殺しに来る。あたしがやらなかったら、自分の手は汚さないあの人も今度は自分で来るわ。そうなったら最後よ。だから、お願いだからあたしと逃げて。あたしなら、あの人の手の届かないところにお兄ちゃんを連れていける。そこで、2人で暮らそうよ」

 岩野君は妹の話を聞いて、首を横に振ります。

 「それなら恵令奈・プレムードラヤが危ないということじゃないか。それを放っとくわけにはいかないよ」

 と部屋の大半を占める大きなベッドから飛び降り、ケンケンをしながら急いでパンツを穿こうとする。男女の契りを交わしても、彼には妹の秘めたる思いに気付けなかったのでした。岩野君の妹はシーツにその裸身を包み、悲しそうな顔で兄の背中を見ながら、

 「それなら気を付けて。あの人は自分が動くときには必ず2人の部下、チュトキイとヅルキイを連れていくわ。

チュトキイは地獄耳で200キロ先の針の落ちる音も聴こえるし、ヅルキイは千里眼で100キロメートル先のマッチ棒も見えるの。そいつらに気付かれたらすぐにあの人にバレてしまう。だからこれを持ってって」

 と兄にCDとDVDを渡します。

 「これはメルツバウのCDよ。これでチュトキイの耳を聾することができるわ。こっちは『ポケットモンスター』の38話が入っているDVD。これでズルキイは泡を吹いてぶっ倒れるはずよ。ついでに『YAT安心!宇宙旅行』の25話も入れておいたわ」

 服を着終えた岩野君はそれを受け取ると、「ありがとう」と一言だけ言って、部屋から走り出ていきました。その後ろ姿を見送った岩野君の妹は、滲む涙を指で振り払い、ドレスの中に隠し持っていた小型のナイフをとりだします。

 「お兄ちゃん、どうかご無事で……」

 そう言って、刃を喉に当ててそのまま突き通そうとしました。しかしその時、誰もいないはずの部屋に声がしました。

 「それは止めといた方がいいよ」

 「誰!?」

 岩野君の妹は叫んで周りを見回します。すると、薄暗い部屋の隅の影の中から、その影が立ちあがったように黒いドレスを着た黒髪の女が現れます。

 「あんたは!?」

 顔を覆う黒いベールを上げると、それはなんと森椈真理亜でした。

 「いつから見てたの?」

 「2ラウンド目が始まる辺りから」

 「覗きなんて悪趣味!」

 そう罵られても真理亜はどこ吹く風、「悪いとは思ってたけど、私もあんたの愛しのお兄ちゃんがそれなりに心配でね」と答えます。兄の話が出て妹の顔つきがさらに険しくなります。

 「あんたにお兄ちゃんの何が分かるっていうの?」

 「分かるよ。このままではあいつは腰崔に殺される」

 真理亜の言葉に岩野君の妹は息をのみ、部屋の空気が重くなりました。

 「あいつは殺しても死なないからね。あいつは命を肉体とは別の場所に隠しているんだ。私も今の隠し場所は知らない。あなたなら分かるんじゃない? ね、死ぬよりほかにあんたにはまだやることがあるんじゃないの?」

 真理亜は宥めすかすようにして言います。

 「あたしのあの人を殺せって言うの?」

 「あの男は生きている限り罪を犯し続け世界の害悪を垂れ流し続ける。誰かが殺さないわけにはいかないんだ。それができるのはあなただけなのよ」

 「でもあたし、そんな場所なんて知らない」

 「思い出してみて。あいつがあなたを近づけなかった場所ってない? でなければ、あいつがあなたを連れずに一人で行った場所とか」

 岩野君の妹は必死に思い出します。

 「そう言えば、どこかの島に行くって言ったときに、あたしも連れてってって言ったのに、絶対に駄目だって言われたことがある」

 その答えに真理亜は食いつきます。

 「それはどこ?」

 「詳しい説明なんか聞かなかったけど。どこか海の真ん中としか」

 「もっと何か言ってなかった? もう時間がないわ!」

 「えっと、どこにあるかは全然教えてくれなかったわ。でも、その島は現れたり消えたりできて、世界中の風がそこから吹いてるんだ、って言ってた」

 それを聞いて真理亜は得心がいったようです。

 「そうか。ブヤンの島ね。なるほどあそこに隠すとは考えたものね」

 彼女はすばやくこれからどうすべきかに考えを巡らします。

 「私はここから離れるわけにはいかないわ。だから、あなたにその島に行って、あいつの命を探してもらう。多分、もう二度と帰ってはこれないと思う。でも悪い場所ではないし、死ぬまでは生きてられるから、今死ぬよりはずっとましよ。どう?」

 その言葉に岩野君の妹は、「行くわ」と決意を込めて頷きます。

 真理亜は「それじゃ」と言うと、胸元の黒い薔薇のコサージュを外して岩野君の妹の頭に上で振ります。すると黄金色の粉がパラパラと降りかかり、途端彼女の体が宙に浮き始めます。

 「これで、ブヤンの島までひとっ飛びよ。すぐに命の隠し場所を探してね。あいつは命を隠すとき、必ず神秘的な緑色のオークの樹に隠すわ。だからそこを探せばいいはずよ。頼むわね」

 岩野君の妹は壁をすり抜けて飛んで行きながら、

 「あんた、なんであの人のことをそんなに詳しいの?」

 と訊こうとしましたが、最後の方はもう聞こえなくなっていました。

 真理亜はその姿を見送ると「さて、私も急がなくちゃ」とまたベールを降ろして、部屋から走り出ていきました。

 一方その頃競技会場では、最終審査が偽岩野君の圧勝で終わったところでした。重火器を使ったバトルロワイヤルにおいても、ナイフで刺そうが銃で撃とうが 死なない腰崔君が負けるはずがないのです。全てのライバルたちをミンチにした後、彼はキングの座を勝ち取るために、恵令奈・プレムードラヤの座る玉座への 階段を昇っていきます。その時恵令奈は、昇ってくる男が最初見初めた男とどこか違うように感じて不安になっていました。

 そこへ部屋に入ってきたのが本物の岩野君、普通ならドアを開け放ち、「ちょっと待ったー!」などと叫んで、満場の視線を浴びるのが作法と言うものです が、見張りを片づけた後、誰にも気付かれないようにそっとドアを開け、いきなり背中から自分の偽物に切りつけるところなぞ、さすが岩野君と言わざるを得ま せん。真理亜から正しい兵法を習っているのでしょう。

 しかしそんな攻撃、蚊ほどとも思っていない腰崔君、背中から腹へ剣が突き刺さったまま体をぶん回し、岩野君を弾き飛ばしてしまいます。岩野君はそこら じゅうに転がっている死体から次々と剣を抜いて、やたらめったら腰崔君に投げますが、相手は針山のような姿になっても痛くもかゆくもないようです。これに はさすがに列席する人たちも奇妙に思いはじめ、今攻撃されている方は、人間ではないのではないだろうかという疑念が心によぎりはじめます。

 あまりにもでたらめな戦いに堪忍袋の緒が切れた恵令奈がとうとう玉座から立ち、2人を叱りつけます。

 「おやめなさい! 何と言う無作法な戦いでしょう。男ならもっと正々堂々戦いなさい!」

 と血なまぐさい戦いに気圧される風もなく、空のような青いドレスの裾を引きずって、威風堂々と2人の間に入ろうとします。と、その手を腰崔君は掴んで恵令奈の体を抱えるように抱きあげてしまいます。そして岩野君に向けて言います。

 「お前にとどめを刺すのは今度にしてやろう。今日のところはこの女をもらうだけで満足することにする」

 と体中の穴と言う穴から煙を吹きだしはじめます。目くらましをして逃げるつもりなのでしょう。このまま逃がすわけにはいかない! しかしどうすることも できない! と思った瞬間、黒い扇子が空を切って投げ入れられ、それを追いかけるように突風が吹き、煙を全て吹きはらってしまいました。

 「誰だ!」

 すでに変装がはがれ、その正体を表している腰崔君が叫びます。群衆の中からしずしずと歩いてくるのは、黒いドレスに身を包んだ真理亜です。

 「また貴様か! なぜそれほど俺の邪魔をするのか?」

 腰崔君は怒りに身を震わし、顔を真っ赤にしながら言います。

 「覚えてない? 覚えているわけないか」

 真理亜はベールを上げ、顔を見せながら腰崔君に言います。

 「血を分けたたった一人の妹なのにね」

 「妹だと? まさかそんな」

 腰崔君は驚愕に顔を歪めます。

 「疑うなら証拠に私とあんたしか知らないことを衆人環視の中言ってあげようか? あんたは生まれてすぐ、父さんを殺し、自分の母さんを手篭めにして私を産ませたの。母さんは結局、私を産んですぐに死んじゃった。それであんたは生まれたばかりで右も左も分からない私を騙しておもちゃにして、弄んで、飽きたらごみみたいに捨てたんだ!」

 「しかしそのお前がどうして上級生に?」

 「高校生ってのは、多くの人が通る人生の道だからね。その道に先回りして待ち伏せしておいたのよ」

 その答えを聞いて、腰崔君は一瞬納得しにくそうな顔をしていましたが、すぐに大笑いを始めました。

 「そうかそうか。あのときの乳臭い女がそこまで大きくなったか。美しくなったなあ。なるほど、確かに母さんの面影があるわ。子どもはたくさんの女に産ませてきた が、妹ってのはこの広い世界でもお前だけだ。いずれお前も俺のハーレムの一員にしてやるから、それまであそこを洗って待っていろ!」

 と腰崔君は言い放って、また魔術を使おうとします。もう扇子は投げてしまったので、今度は成すすべがなく、真理亜も唇を噛んで見ているしかありません。本当にこのまま逃がしてしまうのでしょうか?

 しかしその時、腰崔君に変化が起きます。その体がブルブルと揺さぶられているのです。

 「貴様ら、まさか!?」

 恵令奈から手を離して膝をつき、手で地面を掴もうとして体の震えを止めようとしながら腰崔君が懸命に問いかけます。

 「そうよ。とうとうあんたの命を見つけたのよ」

 真理亜が答えます。

 その頃、太陽に浮かび北風、西風、東風の三兄弟が暮らす全ての風の源の島「ブヤン」では、岩野君の妹が緑のオークの樹の下から掘り出した鉄の箱を開けた途端中から飛び出したウサギがピョンピョン跳ね跳ぶのを捕まえナイフで腹を開いたら中から飛び出たアヒルが飛び去っていくのを必死に追いかけどうにかこうにか捕まえたときにポンと産んだ卵を揺すってみていたところなのでした。

 そして彼女がその卵を割ってみると、中からは一本の針が出てきます。そしてその針の先にあるのが腰崔君の命だったのです。

 岩野君の妹はその針を思い切り折りました。その瞬間、遠く離れた場所では腰崔君が「うぐぅ」と呻いて胸を押さえ、苦しそうにうずくまってしまいます。そしてどんどんやせ細ってひどく年老いた醜い老人のような姿になってしまいました。

 真理亜はその骸骨のような男に近寄ると、落ちていた剣を一つ拾って、男の首筋に当て、

 「じゃあね、お兄ちゃん」

 と小さく言って、喉首を深く掻き切りました。ほとんど血は流れませんでした。

 こうして腰崔君は死んで、岩野君と恵令奈・プレムードラヤは結婚し、森椈真理亜の助言を聞きながら学園を平和裏に統治して、末長く幸せに暮らしましたとさ。

 これが、私が2人の結婚式を兼ねた卒業式の前日に、鍵をかけられて物置と化していた屋上へのドアの前で発見した二年の時クラスメイトだったデブでオタクの馬飼野君の頭蓋骨が語った物語です。

 馬飼野君の唯一の友だちだった私はこの醜い物語を「2人は末長く幸せに暮らしました。めでたし、めでたし」で終わらせるわけにはいかないと思ったのです。

 それで卒業式の日に、ことの真相を全校生徒の前で白日の下にさらそうとしたわけなのです。しかしそれは、新しい学園の支配者夫婦の誕生の祝賀ムードに水 を差すことになり、私は逆に全校生徒の非難の目に射竦められ、そして新しいキングである岩野君の「その不届き者を捕えよ! そやつの首を持ってきたものに は財宝庫の中から好きなものをとらせよう!」という号令により、全校の運動部所属のジョックどもや、負け組のナードやギークや黒尽くめの森椈真理亜配下の ゴスどもまで、皆私を囲んで私の命を狙いはじめたのです。

 そこで私は彼らに動かぬ証拠を突きつけるために、懐より昨日のうちに綺麗に拭いてやった馬飼野君の頭蓋骨をとりだして、彼にこの物語を語ってもらおうとしたのでした。

 私がその頭蓋骨をとりだして高く掲げたとき、その空っぽの眼窩から稲光のようなまばゆい光が溢れ、私を狙う怒りに狂った群衆は気圧されて後ずさりしました。そして、その骸骨が口を開け、語りはじめた物語は、私の意に反して、今私が語っている歪な醜い物語などではなく、

それはそれは美しい古の魔法昔話なのでした。

 むかしむかし、あるところに…………

 (終)

解説

ウラジーミル・プロップ著 北岡誠司・岡田美智代訳『昔話の形態学』(水声社刊)の中に書かれた魔法昔話の構造にそのまま無理やり現代の学園をぶち込んだ。

同著の文章をサンプリング・一部改変しながら使用している。

このとき、自然になるように糊代をたっぷり用意して組み合わせるのではなく、それぞれの要素を生のままぶつけることにより、違和感からくる面白さを出そうとした。

キャラクターも含めてかなり好きな作品。

一箇所岩野君がイワン王子のままになっているところは単なるミスだが、サークルの後輩に見せたところそこが一番受けてしまっていた。

どんなに頑張っても偶然の出来事が一番おもしろいというのは創作者にとっては悔しい話である。

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