淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

このページについてフィードバック(感想・意見・リクエスト)を送る

In the long run, we are all dead

都市の環境再生について

書庫に戻る

都市の環境再生について

 続いては特集です。

 一人の市民の熱意が都市の環境を再生し、美しい一年のサイクルを復活させるまでの感動のドキュメントです。

 ここはとある都市の郊外、そしてこちらの人が原田さん、一見普通の主婦に見えますが、実は今回の主役です。まずは原田さんに町を案内してもらいましょう。

 「私は実は小さいころ、ここで育ったんです」

 時代は高度成長期の真っただ中、国の大動脈である高速道路網が国土の隅々にまで伸びていった時代です。原田さんも、刻一刻と様相を変える町の景色を目の裏や、心の襞に刻み付けながら育ちました。

 「家からはもちろん、よく遊んでいた公園からも、学校の窓からも、どこからでもこの高速道路が見えていました。そしてその上をビュンビュン走っていく車の音もいつも聞こえていました。私たちにとって、高速道路は遊び場であり、学び舎であり、いつも見守ってくれていたお母さんのような存在でした」

 原田さんは地元の高校を卒業した後、故郷を離れます。山間部の大規模農場で作業員や事務員として働き始めたのです。

 住み慣れた都市から離れた田舎暮らしは慣れない苦労の連続でした。しかし原田さんは懸命に働き、同僚と結婚し、二児を得て、幸せな家庭を築きあげました。そんな中、残してきた故郷のことが急に懐かしく思い出されるようになったのです。

 ところが久しぶりに帰ってみた故郷の光景は原田さんを驚かせます。

 「本当に目を疑いましたよ」

 幾度もの長い不況に見舞われて、すっかり都市は荒れ果て、かつての美しい輝きを失ってしまっていたのです。

 特に原田さんを悲しませたのは高速道路の惨状でした。

 「見てください」

 原田さんが持っているのは、原田さんが子どものころの高速道路の様子です。

 「美しいでしょう。それにこんなにもたくさんの車が行き交っている。本当に風景全体が生き生きしているみたいです。今度はこっちを見てください」

 もう一枚の写真は原田さんが故郷に帰ったばかりのもの。手入れもされていないので塗装は剥げ、アスファルトは捲れ上がり、通る車の影も見当たりません。

 「ひどいでしょ。本当に悲しかったんです」

 このありさまを目の当たりにした原田さんは今や誰も住まなくなった都市の郊外にあえて引っ越しをすることを決意したのでした。

 「友人たちや仕事の上司はみんな反対しました。どこで仕事するんだ、子どもの学校はどうするんだって。でも夫や子どもたちだけは理解してくれたのです。家族の協力がなければとてもできないことでした」

 仕事をやめ故郷に戻った原田さんは、内職をしながら、高速道路の掃除を始めます。

 「最初はずいぶん馬鹿にされました。そんなことしてなんの意味があるのかって」

 実際、ごみを拾ってアスファルトを舗装しなおし、標識や街灯の交換をしても車は戻っては来ませんでした。

 悩んで心が折れそうになった原田さんを救ったのは毎日遠い農村まで通勤して生活を支えてくれる夫の一言でした。

 「専門家に訊いてみたら、って言われたんです。何気ない一言だったんでしょうけど、目の前のことに夢中すぎて、私には気が付けなかったことでした」

 原田さんは車の生態に詳しい東西大学の河野教授に質問の手紙を送ります。

 「返事があるなんで全く期待してませんでした。でもすぐにこの手紙が帰ってきたんです」

 そこには原田さんが知らない様々な車の生態について書かれていました。例えば車は電磁波をキャッチする能力があり、それに従って進む方向を決めること、また車には生まれた場所に年に数回帰ってくる本能があり、それを「帰省ラッシュ」と呼ぶことなどです。

 原田さんはそこで、ラジオ局を作って交通情報を流し車を誘導することを始め、また一年に一回最初は数台ずつでしたが車を高速道路に放流し始めました。

 「これでもし何の効果もなければやめよう、と本気に思ってました」

 しかし次の年のお盆、小規模でしたが放流した車が帰ってきたのです。帰省ラッシュが復活した瞬間でした。

 これをきっかけに協力者も現れ始めます。最初は原田さんの活動を冷ややかに見つめていた他の住民たちも、これが地域を復活させる鍵になるかもしれないことに気づいたのです。

 今ではラジオ局ではプロのDJを雇って、交通情報だけでなく流行のポップソングを流し、車の放流も毎年恒例となって一回に何十台と放します。

 盆や正月などの帰省シーズンにはには、かつてのような大渋滞が起こるようになりました。町の上空からけたたましいエンジン音やクラクションが鳴り響きます。高速道路に生命が帰ってきたのです。

 「時間は戻せませんけど、でもあの頃の高速道路だ、という感じはしますよね」

 原田さんはよみがえった高速道路を感慨深げに見つめます。その手には子どものころの友達の写真が握られています。実はこの写真には複雑な思い出があるのです。原田さんにとって高速道路は単に優しいだけの場所ではなかったのです。

 原田さんの子どものころの友達、この山田君は高速道路で遊んでいる最中に不幸な事故で亡くなってしまっていたのでした。

 「高速道路の上の歩道橋から走っている車の上に物を落として遊んでいたんです。当時のこの周りの子どもたちならみんなやっていたお気に入りの遊びでした。そのとき柵から身を乗り出しすぎた山田君が下に落ちてしまったんです。すぐに大人を呼びましたけど、山田君は何台もの車に轢かれて、ズタボロになっていました」

 原田さんの目に涙が光ります。

 「彼のことは忘れられません。高速道路は子どもだった私たちに、世界というのは優しいだけでなく、残酷なものでもあることを教えてくれていたのです」

 実際当時の高速道路は危険なものでした。交通量があまりに大きくなると、氾濫し、溢れ出した車が町を蹂躙することも頻繁に起きていました。もちろん今は建築技術が向上し、そのようなことは滅多に怒らなくなってはいます。しかしそのような荒れ狂う科学技術の姿は幼い原田さんに強烈な印象を与えたのでした。

 「今の子どもたちはみんな森や川なんかで大自然に囲まれて遊んでいます。しかしそこには何かが欠けているような気がしてならないのです。もっとみんなアスファルトやコンクリートでできた場所で遊んだり、『コンボイの謎』や『ソード・オブ・ソダン』などのビデオゲームで遊んで世の中の理不尽さを思い知るべきなのではないでしょうか?」

 原田さんは都会ですくすくと育つ我が子の姿に目を細めながら言います。

 「携帯電話なんて絶対に触ろうとしなかったうちの子たちも今ではすっかり都会っ子ですよ」

 そんな原田さんに最後に、この地域に昔から伝わる伝統的な漁の方法を聞きました。この漁が行われるのは、盆や正月などの帰省シーズンに車が大渋滞して、動かなくなった時です。

 漁をする人たちは塀に身を潜めて、チャンスを伺います。車の動きが止まった瞬間を狙って、飛び出します。もし車が動いていると大変に危険なので、このタイミングはベテランが慎重に決めます。

 そして止まっている車の一つに狙いを定めると、ハンマーで素早く窓ガラスを割り、中に拳銃を突き入れます。そして金品などを強奪し、急いで帰っていくのです。ある程度慣れてくると、どの車を狙うべきなのか、外見から分かるようななるそうです。

 もし車が子持ちだったら、その子どもも取っていきます。持って帰った子どもはその日のうちにおいしく食べてしまうらしいですよ。

 「こういうことをしてると、本当に子どものころを思い出します。なんか、今までの努力が実ったんだ、ってことを強く感じる瞬間ですよね」

 一仕事をした汗をぬぐって、笑顔でそう語る原田さんなのでした。

 さて、次はスポーツコーナーです。

解説

近所の中学校が本当に目の前が高速道路しか見えないので、それを見ながら

「これって子どもの精神発達に影響及ぼしますよねえ」

と何気なく言ったら、知り合いの環境保護派のおばさんがプリプリ起こりながら

「本当にそう!」

って同意したのだが、私としては全く否定的ニュアンスはなく、ただ単に旧世代から見たらグロテスクな精神構造を持つであろう子どもたちの成長を言祝ぎたいたいだけだったので、この小説を書いた。

タグ

書庫に戻る