淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

このページについてフィードバック(感想・意見・リクエスト)を送る

We are such stuff as dreams are made on

彼女のワープ

書庫に戻る

彼女のワープ

 言うまでも無く口は災いの元だ。僕の冗談半分の一言で彼女はこうなったのだ。だから僕はできる限りのことをすると誓った。あるだけの心に誓ったし、真剣に考えたこともない言葉だけの存在だった神様にも誓った。しかしいろいろ誓っておいて、実際できることといったら、時どき病室に花を届けることくらいだなんて、全くのお笑い種だ。しかもあの頃ならまだしも、あれから十年経って、欲しくもない成人式の記念品を役場まで取りに行かなくてはいけない歳になっても相変わらずなのだから、そろそろお笑い種から花が咲くころあいである。もしきれいな花だったら、窓際に飾ってもらおう。

 顔なじみになってしまった看護師に挨拶してから病室に入ると、誰もいなかった。もちろん、ベッドの上で動かない彼女を除いてではあるが。彼女の母親には事前に連絡はしているので、じきにあらわれるだろう。まずは窓を開けて淀んだ空気を入れ替える。一月の針が混じったような空気が肌と肺に心地よかったが、さすがに開けっ放しにする気にはならなかった。次に窓際の花瓶を確認する。この前見舞いに来たのはもう1ヶ月前なので、活けてあったのはもちろんそのとき持ってきた花ではない。どのくらい前に花を変えたのか分からないが、少し萎びているようだ。その花を捨てて、洗面所で花瓶を洗ったあと水を入れて、買ってきた新しい花を差しておいた。そういえば、この十年間何回この病院の向かいにあるスーパーで花を買ったか分からないが、今でも花の名前は覚えられないままだ。花瓶を元の場所に戻すついでに、窓からそのスーパーを眺める。見舞い客のために花と果物の盛り合わせがいつでも買えるスーパーも、それ以外の部分ではあまり繁盛していないらしく、なんだか寂れているようにも感じられた。十年も経てばいろいろ変わる。つぶれてしまったら、花はいいとして、どこで果物の詰め合わせを買うのだろうか。そもそもなぜ果物なのか。消化にいいから? 大量にもらうと腐るけどな。頭の中で竹中直人が「だって果物好きなんだもーーん」と踊り狂うのを横目で見ながら、考えてみると一度も見舞いに果物を持ってきたことがないことに気がついた。当たり前だ。彼女がどうやって果物を食べるのか。点滴に絞り汁でも混入させるのか。

 馬鹿なことを考えるのを一度中止して、ベッドの横に椅子を寄せてそこに座り彼女の顔を眺める。看護士や母親が定期的に身だしなみをしているのだろう、体やシーツは清潔に保たれている。確か十年前は、どちらかというとぽっちゃり気味だったと思うが、ベッドの上の姿は見る影もなくやつれている。点滴で必要な栄養はとりつづけているはずなのだが、意識的な運動をこの十年間一切行わずに、ベッドの上で寝続けて、すべての筋肉が萎びてしまっている。表情筋も同様なので、顔全体が弛んだようになっている。喉から肩や手首などの露出している部分はまるで、布団圧縮袋か真空パックのように、内側の空気を抜ききったように見える。当時はあまりそんなこと考えていなかったが、今あの頃の写真を見ると、それなりにかわいらしい女の子に思える。もし、ちゃんと大きくなっていたらどんな女性になっていたのだろうか。

 首の部分には、呼吸補助のために、澁澤龍彦みたいな穴が開いている。穴のある体か。そういえばあの時、もう初潮は済んでいたのだろうか。昏睡状態になっても生理は来るのだろうか。もし来ているのだとすれば、看護士さんが処理をしてくれているのだろうか。

 参考書でも出して読もうかと思っているところに、彼女の母親が現れた。この人も、この10年で10年以上老けたように見える。いろいろと苦労しているのだろう。ほぼ一人で眠ったきりの娘の世話を焼き続けてきたのだ。たいした精神力だ。その娘はぱっと見、眠り姫というにはあまりに貧相で、また放っておけば異臭を放ち始め、ときどきこちらで姿勢を変えてあげないと背中の皮がめくれ、骨が見えてしまう。もちろんある程度は看護師がやってくれるが、そのためには毎月入院費を払わなくてはいけないし、その半分は離婚した夫が払っているが、それとは別に自分の生活費も稼がなければいけない。あれから再婚したという話も聞かない。娘の看護をしながらでは、そんな余裕はないのだろう。僕の顔を見ると、疲弊しきった顔の中に埋没した両の瞳にかすかな微笑が宿った。まだ希望を持ち続けているのだろうか。原因不明では希望を捨てることも難しいのだろうか。もっと早くあきらめてしまえば、こんなにもやつれはしなかっただろう。すべては僕の責任である。

 今日僕がここに来たのは、単なる見舞いのためだけではない。センター試験が終わって、二次試験までの間に一度見舞いに行こうと連絡したときに、成人式の話が出たのだ。戸籍をもとに招待状を出しているので、彼女の所、正確には彼女の母親の所にもそれは来た。しかし、どうすべきなのか判断を下す前に、成人式は目の前をドップラー効果を起しながら通り過ぎてしまった。イベント事ってのは大抵そうだ。でも、記念品とやらがあり、取りにいかないといけないらしいし、やっぱり娘の成人を何らかの形で祝いたい。どうしよう。そんな折、僕が電話をかけてきた。話の流れで成人式の話題を振ると、僕はセンター試験と丸かぶりしてて無理だったとまるで本当は行きたかったみたいな言い方をした。ついでに地元の仲間にも久しぶりに会いたかった、と相手に思わせかねない言葉まで発した。そこですかさず記念品を取りにかなくてはいけない、という話を持ちかけると、何かのついででもないと取りに行く気のしない僕は、では自分のを取りに行くついでにとって見舞いのときに持ってきます、と言ったのだった。彼女は、悪いです、と最初は言っていたが、すぐにそれでは頼みます、と承諾した。引換券がどうのこうのと言っていたが、あらかじめ役場に連絡しておけば大丈夫だと思ったら、やっぱり大丈夫だった。そうして、今僕は鞄から記念品の『大人の常識事典』を市の代理で進呈している。当局の素晴らしいチョイスにどんな顔をしていいのかよく分からなかったが、どんな顔をしていいのか分からないときは笑えばいいよ、とある人が言っていたが、また別のある人は、これ笑うとこ? と言っていたので、結局安部公房いうところの表情の三角形の中点へと収束していくかと思われた所に、「この娘の振袖姿も見たかったんですけどね」と言われたものだから、思わず「ぶひひっ」と吹き出してしまった。別に振袖が面白かったわけではないのだが、どこで笑えばいいのかタイミングがよく分からずに、結局一番笑ってはいけないときに笑ってしまうのが僕の悪いくせなのだ。物凄く怪訝な表情で顔を見られたが、うつむいて適当にごまかしておいた。うつむいているのでごまかせたかどうかはよく分からないが。みんななんで、ああ笑うタイミングを合わせることができるのだろうか。誰かが喋り終わると同時にみんな一斉に笑い始めたかと思うと、僕が喋り始めると同時に部屋全体がしいんと耳が痛いほど静まり返る。冗談を言うタイミングだってそうだ。冗談を言っていいときか言っていけないときかが僕にも分かるように信号機でも設置しておいてくれれば助かるのに。そういえば、あのときだってよく考えたら冗談を言うタイミングじゃなかったのかもしれない。が、彼女がまじめな話をし始めたので、僕はどんな顔をしていいのかよく分からなくて、結局あの致命的な冗談を言ったのだった。

 「あら、お花。変えてくださったんですね。ありがとうございます」

 やれやれ、どうやらごまかせたらしい。顔を上げると

 「いつもいつもすみません」

 と言いながら、名も知らぬ花に顔を寄せている。そして、ベッドの上の呼吸補助器具の差し込まれた娘の顔を見やると、

 「もう十年になっちゃうんですね」

 と呟いた。確かに十年は長い。キサントパンスズメガの口吻と同じくらい長い。

 進化論に思いを馳せ危うくオメガ点まで到達しそうになっているところで、彼女が何か言いたげにこちらを見ていることに気がついた。まあ、何がいいたいのかは大体分かる。なんでここまでしてくれるのか、とかそんな感じのことだ。冷蔵庫の左右どちらからでも開くドアがどういう仕組みになっているのかと同じくらい疑問に思って当然のことだ。だが、彼女は何か言いたげなだけで、その何かを言い出そうとはしない。この十年言い出しそうで言い出せなかったことが、十年の節目だからと言う理由で口に出せるわけではないし、たぶん、それを口に出さない理由の一つは、訊いて見るまでもなく、こちらが思いもよらないような答えを向こうで出してくれているからなのだろう。そのおかげで、適当な理由をでっち上げる気苦労が減っているのだから感謝すべきだ。彼女が僕と彼女の娘の関係をどう想像していたってたいした問題ではない。それに、本当の理由なんか説明したって仕方がない。たぶん話している途中であまりの馬鹿らしさに、僕が笑いをこらえられないだろう。そして、『あ』研究家の松本人志さんが「おかしいんじゃないか、これ?」と思ったときみたいな顔で見られること請け合いだ。

 しばらく世間話をしていたら、彼女は医者と何か話があるらしく、僕は病室にひとり残されてしまった。いや、正確には二人だ。いつも勘定に入れるのを忘れる。もう一度ベッド脇の椅子に座る。そしてこの十年間、この部屋に一人きりに残されたときにいつもしていたように、ベッドに横たわる少女に話しかけ始める。女性を少女って呼んでいいのは何歳までだ。

 「もういい加減あきらめろよ」

 もちろん、答えは返ってこない。たぶん、聞こえてもいない。

 「世の中にはね、無理なことってのがあるんだよ。無理なことはいくらがんばっても無理で、もうそれはどうしようもないことなんだよ。努力すれば何とかなるとか、夢はかなうとか、小学生に教えていることは全部嘘なんだよ。絶賛二浪中の僕が言うんだから説得力炸裂だよ。これは風の強い日に立小便をすれば自分の足にかかるくらい確実な話だよ」

 とこの十年で僕がようやく学び始めたことを話すのだが、その十年を一切外界との接触を絶ってすごしてきた彼女に言っても無駄なのかもしれない。そもそもあんな冗談を真に受けるのだから、彼女はあの頃から相当な馬鹿だったのだろう。そこから一歩も成長していない以上、今だって馬鹿なのだ。馬鹿になに言っても始まらないことを、僕はすでに学んでいただろうか。

 いつの間にやら、窓の外の空が暗くなっていた。昼間からどんよりと雲が立ち込めていたが、夜にかけて雪が降るかもしれない。

 彼女がこうなってしまった日は夏だったから、まだこの時間帯は明るかった。僕達は下校中で偶然一緒になった。彼女のほうから話しかけてきた。親の離婚の話だった。そのとき僕は、よくよく考えると帰る方向は一緒なのにほとんど話したことがないことにようやく気がついたところだった。なぜそのとき彼女が僕に話しかけたかはよく分からない。たぶん誰でも良かったのだろう。彼女が学校でそのような類の話をしているのを見かけたことがないから、たぶん普段話していない人間の方が話しやすかったと言うだけなのだろう。こちらとしてはいい迷惑だ。どんな反応をすればいいのか分からないし、そもそもどんな反応も求められていないのかもしれないが、やっぱり無反応なわけには行かないのである。そして、ふーん、とか、大変だね、とかをどのようなタイミングで出すかと言う大変難しい問題に取り組んでいたときに、何故か僕は、相手の気を紛らすようなことを言わなければいけない、と言う謎の欲求に襲われてしまったのだ。彼女は言った。

 「どっか、もうちょっと素敵な場所に行って、そこに住みたい」

 だから僕は言ったのだ。

 「全力で念じれば、全身全霊をかけて念じることができれば、そこに行ける」

 と。その日の夜彼女は、いつも通りベッドに入りそして二度と目覚めることはなかった。原因は誰にも分からなかった。ただ、僕だけが、彼女は全身全霊をかけて念じ続けている、あらゆる能動的活動や生命維持に関わる活動を放棄してでも、脳のすべての部位を動員してでも、祈り続けているのだ、念じ続けているのだ、その責任は自分にあるのだ、という十年前の思い込みを律儀に守り続けているのだ。誰にも話さず、またもともと仲など良くなかったのに頻繁に見舞いに行くのを不思議に思われながら、気がついたら十年経っていたのだ。あの会話以外ほとんど話したことなどなかったのに、この十年間一番話しかけたのはよくよく考えてみれば彼女だった。何とか彼女の無駄な努力をやめさせようと説得し、頼み込み、そして時にはやけになって応援してみたり、関係のない愚痴をこぼしたり、方針を変えて、もうちょっと素敵な場所なんてないと言ってみたり、相対論的にワープの可能性の薄さについて語ってみたりした。彼女は話しかけやすかった。反応に困る反応を返してくることがなかったから。だが、それも今日までだ。十年は長い。無駄なことをしているのが自分であることに気付くのには十分な長さだ。僕はほかにやることがある。君はここで死ぬまでお花畑でも念じ続けて、母親に迷惑をかけ続けるがいいさ。

 挨拶してから帰ろうかと思っていたけど、医者との話が長引いているのかなかなか帰ってくる様子がなかった。空を見るために窓を開けると、空気に雪の匂いが混じっている。日没直後のはずだが、雲のせいで夜中みたいに真っ暗だ。これは吹雪く前に帰ったほうがよさそうだ。そう思って、窓を閉めようとしたとき、空が光った。すぐさま腹にくるような重低音が響いてきた。雪起こしの雷だ。本格的にヤバイな、と思うが早いかとんでもない衝撃を喰らって、床に投げ出された。

 すぐにはどちらが上でどちらが下なのかも分からなかった。とんでもなく眩しい、という認識があったが、何が眩しいのかは全く分からなかった。その理由が自分が眼を強くつぶっていることだと分かるまで、少しかかった。眼を開けたとき、妙に薄暗いな,とまず思って、次に電気が消えていることに気付いた。停電だ。そうか、雷が落ちたのか。いや、この地方の雷は下から上に走るから、落ちるというのは間違いなのだろうか。とまで考えたとき、逆に視界が明るすぎることに気付いた。稲光で目をくらまされているのに、この暗さでこんなに物がはっきり見えるのは変なのだ。薄暗いのではなく薄明るいのだ。体を起して周りを眺めて、すべてのものが身投げした蛍烏賊のように青緑色の燐光を発している。床も壁も天井もテレビの画面も消えた蛍光灯も医療機器もベッドもベッドのシーツも、目の前にかざした僕の手も。その光りがきらきらときらめき、ゆらゆらとゆらめく。脈動する。テレビで見た珊瑚の産卵のように、光の粒が指の先から空中へいくつも躍り出る。窓の外に目をやると、付近の明かりがすべて消えているのに、病院だけが建物全体で怪しく光り輝いていた。その光がまるで生きているように、この窓に集まる。そして、それらがベッドの上に流れ込む。まるで、ベッドの上から水が湧き出してくるのを逆再生して見ているみたいだ。空中の光球もその周りをうろちょろしているうちに、流れに合流していく。ほとんどすべての光がベッドのシーツの中に入ってしまうと、内側から輝きでシーツが透けて、中の肉体が見える。その肉体の中で光の奔流が形を変えながら渦巻く。しだいにそれらは一点に集まり始めると、目を開けていられないほど眩く輝き始めた。僕は本気でシーツが破れないか心配になった。そして、一瞬であっけなく光は消えてしまった。

 直後、予備電源が作動して、非常灯が付いた。呆然としていると廊下をドタバタと行き来する足音がしてきた。口々に何かを叫んでいる。今の停電でいろいろと不具合が生じているのだろう。すぐにこの部屋にもスタッフが流れ込んでくるに違いない。その前にそっと部屋を出て、行きかう人ごみにまぎれて、病院から出ると、ちょうど最初の雪のひとひらが病院の非常灯に浮かびあがったところだった。病院の周りは停電で暗かったが、独立電源の街灯が燈っていたので、道行く人々の混乱も終息しかかっていた。コートのポケットに手を突っ込んで、身を縮こまらせながら、足早に最寄の駅まで歩く。落雷のため少し遅れていた電車を待ちながら、頭を整理する。整理するまでもなく確信していた。今、あのベッドの中には誰もいない。そんなことは実際にシーツの中を見てみなくたって分かる。彼女は旅立ってしまったのだ。念願かなって、ついにどこかにいけたのだ。十年間の無駄な努力が報われたのだ。

 数日後、彼女の葬式が行われた。話によると、彼女は病院に雷が落ちたことによる停電と非常電源が作動するまでの数秒の間におこった、予期しない医療機器の故障により医師の奮闘空しく死亡したことになっている。もちろん、嘘に決まっている。あの光の乱舞が続いていたのは、数秒ではなかったはずだ。それにあの時すでにベッドはもぬけのからであるはずだから、医師の奮闘空しくもくそもない。

 葬式には、小学校の同級生達がたくさん来ていたらしい。らしい、というのも僕はそこにいっていないからだ。いっても何も見るものはない。棺おけの中が空なのは見るまでもないことだからだ。彼らは空っぽの棺おけに見てみぬ振りをして涙を流すだろう。中身のない棺おけに花を投げ入れるだろう。軽いはずの棺おけを重そうに持ち上げるだろう。そんな茶番に付き合うつもりはない。さいわいこちらには時期的に行かない理由はあるのだ。

 彼女の祈りが通じたのかどうかは僕には分からない。通じたのかもしれないし、努力とか思いとかとは何の関係もない偶然により、願いがかなったのかもしれない。物事はうまくいったりうまくいかなかったりするものだが、そこに意味などないのかもしれない。こんなことは世の中の考えても仕方がない多くのことの一つだ。

 彼女がどこにいったかも知らない。だいたい、彼女がどこに行きたかったのかも知らないのだ。ただ、彼女が今いる場所が、ここより多少素敵な場所だったらいいな、と思うだけである。

解説

しりあがり寿や吉田戦車が書いていたみたいな「明らかに下らないギャグみたいな設定で真面目な話を書く」というのをやってみたかった。

タグ

書庫に戻る