淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

このページについてフィードバック(感想・意見・リクエスト)を送る

and yes I said yes I will yes

Natural Histrie

書庫に戻る

Natural Histrie

 強い日差しが濃い緑に吸い込まれ、濡れたような日陰に命あるもの達が憩う夏の日、未だ少年であった少年は、少し年の離れた兄に連れられて、別荘の裏に広がる森に虫の採集に出かけた。2人ともシャツを汗みずくにしながら、捕虫網を振り回した。初めて兄の趣味に付き合うことになった少年がいくら狙いを定めても、兄のように効率的で的確な動きはできず、歯がゆさばかり募るのだった。

 結局、団子虫しか捕まえられず、それも兄の勧めで逃がしてやることになり、収穫は兄が捕獲した数匹の赤と黒の模様が少々毒々しい蝶だけだった。それらが中で羽をばたつかせる虫かごを胸に抱きかかえて、悔しさと誇らしさを両方感じながら、別荘に帰り着くと、兄はすぐに、そのかごを少年から奪うと、中にいる蝶を、透明なガラスでできた箱の中に移してしまう。

 一体何が始まるのか分からずに、兄の手元を見ていると、彼はその密閉された箱の中に、何かガスを注入しはじめた。たちまち、箱の中の蝶の様子が変わる。それまでは、逃げる気があるのかないのか、野に放たれているときと何の違いもなく暢気そうに羽ばたいていたのが、今はもがくようにのたうつように、苦しそうに羽をばたばたさせる。

 しかし、それも長く続かない。蝶達は、すぐに動かなくなってしまった。美しい羽の模様はそのままに、まるで最初から精巧な作り物ででもあったかのように、それは箱の底に折り重なって転がっている。

 予想もしなかったことに驚いて、泣くこともできない少年の目の前で、兄は手際よく彼らをピンに刺して、標本箱の中に固定していく。驚愕と恐怖の第一波が引いていくとともに、少年の心に深く刻まれたのは、それらの今にも飛び立ちそうな、美しい死体たちの永遠の生命だった。

 もし兄の手であの夏の日の姿を固定されていなければ、その夏の終わりとともに腐って朽ちてしまう、儚い命たち。少年と兄には、それを一番美しい姿で集める使命がある。そう少年には思えた。

 その日から、少年は兄に教えを請うことを夏休みの間の日課とした。虫取りの技術よりも、標本作りの技術にばかり興味を持つ弟に呆れながらも、兄は丁寧に知っていることのかぎりを伝えようとした。

 それらの記憶は丁寧にピン付けされ、記憶の標本箱の中に大切に陳列され、少年が少年でなくなり、少年として死ぬときにも、まず思い出されたのはこの日の熱い日差しだった。

 それはこのように美しい日々が二度と訪れなかったからでもある。

 家の破産、両親の不和、兄の進路。全てはあの日以前に始まっていたことばかりだった。しかし、幼い少年はそんなことに露も気付かず、世界がかつての優しいものでなくなったことを知ったのは、ようやく兄の自殺の後だったのだ。

 少年は秋の夕空のように急速に少年ではなくなっていき、抜け殻のような家を捨てた。少年は、兄の夢を継いで、生態学者になりたかった。しかし、大学時代の活動が元で、結局はアカデミズムの世界には入らず、過激な行動も辞さない環境保護活動家の道へと進んでいった。

 少年は、放っておけば気候変動等の環境の変化で滅びていくしかない動物を、できるだけ変わらずに保存していく方法を模索し続けた。敵は人間だけではなかった。人間がこの世に発生する以前から、この世界は幾度も生物たちを大量に絶滅させてきたことを知らないほど、彼は素朴で純真なわけではなかった。しかし、それが現実だというだけの理由だけで納得するのは、敗北以外のなにものでもないように感じられたのだ。彼は残酷な人間の乗った捕鯨船に発煙筒を投げつける傍ら、太陽光の変動や火山活動など残酷な自然の猛威から自然自身を守ろうと、西へ東へ奔走した。

 そんなある日、少年に転機が訪れる。神の声を聞いたのだ。

 その声は、彼に滅びの日が近いことを告げた。そして滅びの日から神の創造物を守れるのは、第二のノアである彼だけなのだ。

 彼はその日から、箱船作りに励んだ。滅び行くものを永遠に今の姿に保存するタイムカプセルだ。

 世間の無理解に共に戦った仲間たちは、誰一人彼についてこなかった。正しいときも狂ったときも、共に道を歩いていた人々が、彼を気違いと罵った。

 それでも彼は気にしなかった。今までと、それほど大差があるとは思えなかった。むしろ、神の声がはっきりと聞こえる今のほうが、迷いなく目標へと進めるくらいなのであった。

 なぜ彼らは気付かなないのだろうか。生命が美しくもなんともないこと。有為転変を続ける生命が恐ろしいものであることを。生命に死が満ちていることを。そして、生命を美しく保つためには、これしか方法がないことを。

 少年は、少年が老人になるほどの時間をかけて、それを作り上げた。それは巨大だった。それは全てを包み込んだ。

 それはあまりにもゆっくりと行われたために、少年以外誰も気がつかなかった。ゆっくりと山は、森は、海は、平原は、町は、壁の中に組み込まれていった。みな、それに気付かず、いつも通りに生きていた。いつも通りに鹿は草を食み、いつも通りに狐は兎を狩り、いつも通りに若葉は伸び、色づいて落ちていった。

 しかし、その日がとうとう来てしまった。神が彼に預言したその日が。

 その日、世界中の全てが、少年の作り上げた箱船、タイムカプセルの中に納められた。そして、その全てを永遠にそのままの姿で保つために、少年は優しい死を、その上にゆっくりと垂れ込めさせた。

 鳥はそのままの姿でその場に凍り付き、人々もせわしなく歩むのを止め、木々は風に靡いた姿のまま石のように固まった。

 少年はそれを見て良しとした。全ての始まりの日、全てのものがあるべき位置にあるのをごらんになった神が良しとされた気分を、彼は想像せざるを得なかった。まるで彼の兄が手がけたように、全ての死体が美しく、生命力にあふれ、絶妙の機微で配置されたいたのだ。

 少年は最後まで閉じられていなかったドアから背後を振り返った。外の世界には、もう何も残っていなかった。茫漠と広がる荒廃した世界。神の言葉通りの世界の終わり。しかし、何を悲しむ必要がある。この日のために、全てのものを、箱船の内側に移し替えたのだ

 少年は相変わらずあの日のままに美しい蝶の飾られた標本箱を胸に抱いて、タイムカプセルの中に入っていく。最後のドアを閉じる間にも、死が彼の肌からしみいり、少年の顔は、老人から、だんだんとあの日の面影へと近づいていく。

解説

名前の由来はヤン・シュヴァンクマイエルの『Natural Histry』から。

もともと、シュヴァンクマイエル論を構想しているときに、彼のアニメーションに偏執的に現れる「本来死物である物品がエロチックなまでに生命化される」というモチーフが、逆に「物を死物化してでも自分の支配下におこうとする」という意味で「ネクロフィリック(死体愛好的)」だという分析から思いついた。

それは『男のゲーム』などに現れる、「人間を物化」することからくる強烈なグロテスク表現の源でもある。

「死物の生物化」と「生物の死物化」はそれらをおしなべて同じ地平に置いてしまうことにより、表裏一体なのだ。

そして安部公房の諸作や『O嬢の物語』などに書かれているように、エロティシズムの根源も「普段は我々が『物』とは考えないが所詮は『物』にすぎない肉体を、『物化』する」ことにある。

そういう意味で、「ホラー(自分の肉体が単なる物になる)」「ギャグ(自分が安全圏にいるときに他人の肉体が単なる物になる)」「ポルノ(他人の体を物にしたい、他人に自分の体を物にして欲しい)」は親しい関係にある。

そこが、シュヴァンクマイエルの作品が恐ろしく、おかしく、そして不思議に性的な理由であろう。

またブルーノ・シュルツの『大鰐通り』にも、少年の収集癖とその無意識の投影である雑然とした部屋が想像裡に世界に溢れていく様の描写に同様のモチーフが仄見える。

そしてその映像化であるブラザーズ・クエイ(ヤン・シュヴァンクマイエルにリスペクトを惜しまない)の『ストリート・オブ・クロコダイル』には、まさに全ての死物(人形、機械、螺子の一本一本)に生命が吹き込まれる魔法の瞬間が描かれている。

またレーモン・ルーセルの作品にも同様の分析は適用できるだろう。

タグ

書庫に戻る