淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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Πάντα ῥεῖ

テケヌ

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テケヌ

 厄介事というのはどうしていつも私が大量のスパゲッティをバターとチーズの配分を変えただけの味のメリハリで消費することに絶望したころにやってくるのであろうか。卵さえ碌にない我が食糧庫から葱を切りのりを切り胡麻をすり、山葵よりは生姜の方がましかと考えながらおろし器に擦りつけていたとき、より正確にはまともな食材がほとんどないのにどうしてこう薬味の類いばかりあるんだという根源的疑惑が心にきざしたとき、誰かが、いやこの場合には純粋な面倒事の塊と呼んだ方が文法的に正しいものが(ここにおける文法とは、中期ウィトゲンシュタインの意味に取ってもらって私的には何の問題もない)、部屋のドアをどんどんと叩きだした。なにか切羽詰まったものを感じさせるその叩き方は宗教の勧誘でもNHKの集金でもなく、何か警告的な感じがするが、先月間違えて完全犯罪を解決してしまったことによる臨時収入のおかげで借金は全部返せたはずなので借金取りではありえず、残る可能性としてはもしかしたらどこかの美少女が私の栄養バランスについて警告に来たのかもしれないな、と希望的観測しながらゆっくりドアまで歩き覗き穴を覗くと、そこにそわそわしながら立っているのは李だった。

 びっくりした私は絶望的観測という言葉を瞬時に通算何度目かの再発明しながら急いでドアを開けた。

 「お、お前今までどこに!?」

 言葉が上手く出てこなかった。1年近くも行方不明になっていて、それなりに心配もしていた友人が不意に現れたのだ。驚きもする。

 しかし李は私の質問に答えるそぶりすら見せず、背中で私の体を押すように玄関の中に身を潜り込ませようとした。

 「すまんが淡中、ちょっとの間あずかっていてほしいものがあるんだ」

 そういう李は両手で何かを引っ張っている。橇の様なものにのっている大きな白い袋だ。ちょうど人が一人入れそうなくらいの……

 「質問はまた今度だ。今はとにかく何も言わずにこれを預かってくれ! 頼む!」

 そう言って、その袋を玄関まで引きずり込むと、

 「誰かが来てもここを絶対開けるなよ!」

 と念を押してドアを閉める。その直後、日本語ではない叫び声が階段の方からして、二人ほどの人間が走ってくる足跡がする。李はその反対側にもある階段に向かって走り出す。息をひそめて覗き穴から外を見ていると、李の後を追って、奇妙な二人連れが走っていくのが見えた。まず最初に薄手の腰布一枚で上半身裸という服装と大きく露出した赤銅色の肌に驚かされ、次にその肌と強い対照をなすきらびやかな装飾が手足や首のまわりを飾るのに目を奪われる。しかしすぐにこの二人には何か非現実的要素があることに気付かされ眩暈を覚える。まず二人が体格から何まで、細かいアクセサリ以外、そっくりであることがその原因であるかと思うがそうではない。よく見ると顔や下半身はちゃんと横を向いているのに首から下の胴体はねじるようにこちら向きの正面を向いており、さらに不思議なことに横顔の中で濃いアイラインの引いてある目だけがやはり正面を見ていた。実は彼らが私の視界に入ったのは一瞬のことでしかない。なのになぜここまで詳細に描写できるのか不思議に見る向きをあろうか。それは私が彼らの姿を見るのが始めてはなかったからである。恐らく日本人の多くがテレビや書籍で彼らの姿を一度は眺めているのではかろうか。その記憶があったおかげで、彼らが通り過ぎた後、彼らの姿を私は脳内で復元することができ、そしてそれによって彼らの正体を知ることができたのである。

 彼らは古代エジプトの壁画などに描かれる人たちにそっくりであった。つまり彼らは古代エジプト人であったのだ。

 私はてっきり古代エジプト人は絵が下手で、だから斜めや横から肩を書くことができないので、あんな首を違えそうな絵を描いている物だとばかり思っていたのだが、まさか本当に古代エジプト人があんな体つきをしていたとは思いもよらなかった。いままで馬鹿にしてすまなかった。

 しかしそうすると次に問題になるのは李は古代エジプト人と一体いかなるトラブルを起こしたと言うのか。

 李が行方不明の間、エジプトに行っていたということに関しては特に以外ではなかった。李は以前からエジプトに一方ならぬ興味を抱いていたことを私は知っていた。李はむかしから「本当に大切なものは目に見えない」主義者だった。またの名をグノーシス主義者ともいう。すべての文章には表の意味だけでなく裏の意味があり、様々な記号操作や自由連想を通して、イシスのベールをはがす事ができると信じていた。アタナシウス・キルヒャーを心の底から尊敬していた奴は、ヒエログリフが絵文字ではなく一種のアルファベットであり内容も政治的世俗的なものだと近代の研究で明らかになったとしても、裏の意味ではやはり神秘的な事柄について語っている筈で、それは例えば漢字についても同様で、たとえ漢字の起源がエジプトに無くとも、神秘的な次元では必ず何か関係があるはずだ、なぜなら言語とは本来宇宙からやってきたウィルスであり、脳に寄生して高い思考能力という恩恵を地球人に与える代わりに、その地球人たちが気付かないうちに脳のメモリースペースを大量に占拠し、無意識下で自分たちのために高速計算をさせている、その理由は恐らく宇宙的な陰謀とかかわりがあるはずだが今はまだはっきりしたことは言えないが、今分かっていることは、それら言語的無意識が言葉の裏の意味として必ずや滲みだしてきている筈で、ときには書いている人間すら気付いていない言語的無意識をカバラ的方法で白日のもとに曝すことにより、言語ウィルスの戦略や目的を知ることができ、それによって始めてわれわれは奴らに対して先手を打つことができ、彼らの支配を脱し不当に占拠されている脳領域も奪還した折には、言語を知る前には持っていたはずの超能力や超直観能力と、彼らがわれわれをおびき寄せた餌ではあるが、それでもやはり役に立つ物ではある高次の思考能力を併せ持つ超存在となって、宇宙から来た原形質のオオムカデどもと対等に戦うことができる存在になっていることであろうが、そのためにはまだ奴らの隠蔽が進み切っていず、彼らの超自然的知恵と我らの思考が未分化だった古代の知恵を分析せずんばならず、古代エジプトの偉大な哲学者ヘルメス・トリスメギストスの著作からノアの方舟以前の知識をサルベージしなければならず、そのためには多分定説に反して1万年以上むかしの遺物であることが確定的に明らかである(表面にのこる水が縦に流れた跡から分かる。エジプトにそれだけの雨量があったのは1万年以上前でしかあり得ない)スフィンクスの地下にあるという謎の空間に眠る何かが、きっとその謎の解明に役立つはずなのだが、しかしその秘密に李が探り当てたことはすでに世界を支配する国際的銀行家であるところのユダヤによる秘密結社フリーメイソンリー別名イルミナティ達によっても気付かれており、それによって奴は命を狙われており(おそらくテンプル騎士団が潰されたのも、この秘密に接近しすぎたが故であり、薔薇十字団が最後まで隠れたままだったのも、先達たちの二の轍を踏まぬためであったのだ)、実際地球人に化けて全く見分けのつかない宇宙人たちやヘリコプターや飛行機に化けたUFOにつけ狙われているが、ギザの大ピラミッドの通路として表現された預言によると(スコットランドのエジンバラ王立天文台の天文学者でありPyramidologyの権威であるチャールズ・ピアッツィ・スミスによれば、通路の長さをピラミッドの囲み石の長さで割ると丁度365になり、その通路事態が人類の歴史を表しているという)、じきにキリストの再臨と反キリストの出現が訪れ、自分がそのどちらかになるのは確実だからそれまでの我慢だ、と折りに触れ私に語っていたのだった。だからその彼がエジプトに行っていたという話は、「脳を脱臼して入院した」「心のヘルニアで療養している」「たま出版に就職した」の次ぐらいに納得する話だったのだ。

 ここまでは笑い話になる話だと言って良い。だが、その李が謎の古代エジプト人に追われているとなるとあまり笑っていられない。いや、もしその話をどこか別の場所、例えば噂話とかで聞いたとしたら死ぬほど笑うだろうが、その追われている現場をこの目で見、なおかつ追われている奴から何かレトルトの中で単離精製された純粋な厄介事のようにも見えるものを押し付けられたとなったら、出てくるのはひきつり笑いだけである。せめて現代のエジプト人とトラブルを起こしてくれれば、外務省に一任してしまうという手もあったかもしれないが、残念ながら古代エジプトは東京に大使館を置いていない。昔の人といざこざを起こすなんて器用なことをしてくれたものだ。昔の人を敬え、というのはこのことだったのか。

 とりあえずこれどうしようか、と思っているとそりと袋の間に何かが挟みこまれていることに気付いた。袋にはあまり触りたくないので、無理やり引き出してみると何も書いてない封筒だった。中に紙が入っているので、びりびり破いて取り出してみると、案の定何か書いてある。走り書きされた内容を急いで読みはじめる。

 『おまえがこれを読んでいる頃、俺は多分もうこの世にはいなくなってしまっているだろう。』

 「こっちくんなーーー!」

 階上から李の叫び声が聞こえる。残念だな李、とりあえず冒頭部分は間違いになってしまったようだ、と天国にいる李に話しかける。地上にいる李はまだ悪あがきをしているようで、どんどんがんがんうるさい。

 『今は時間がないので詳しいことは書けない。しかるべき時が来たら、ある場所に保管されている文書がお前を含めた何人かにメール等いくつかの手段で届くはずだ。これは俺がtwitterのあるアカウントで一定期間つぶやかないと作動するようになっている。お前ならそこに書いてあることが分かるはずだ。』

 なるほど私ほどこいつを理解している人間もいなかろう。多くの人はこいつの言っていることを豪も理解せずただこいつの言っていることを妄想と断じ、私はこいつの言っていることをいちいち理解し、資料を集め自分なりに調べ、その結果こいつの言っていることを妄想と断じた。前者の方がよほど効率がいい。むしろ後者は堂に入った馬鹿だと自負したくなりそうな勢いだ。まともな就職ができないわけだよ。

 『この袋はそれを読めばお前にも正体が分かるものだ。今はただ、それまで大切に保管しておいてくれ、絶対に中を見るな、としか言いようがない。名前はテケヌだ。』

 何の名前だ? 袋の名前か? 中身の名前か? それとも袋とこのそりの複合体の名前か?

 『最後まで迷惑をかけてすまない。』

 「そんなのいやだあああ!」

 頭上では李が相変わらず悲鳴をあげているが、関わりたくないので無視することにして、とりあえず、この「テケヌ」とやらをどうするのか考えないと。あの二人組に返すという手もあるのだろうが、何だかあの人たちとは話が通じなさそうというか、真正面から見たらどう見えるのかと考えるだけで怖気をふるってしまうので、会いたくない。それでは、そのいつか届くはずの詳細情報が来るまで保管しておくと言うことになるのだろうが、そうするにしても、こんな玄関に置いとくのは不便だ。とりあえず部屋の奥の隅っこの、様々な物が積みあげられているゾーン(俗に流星街と呼ばれている)に押しやっておくことにするとして、そのために玄関の段差を越えなくてはいけないのが和風建築の難しさだ。できるかぎり袋には触りたくないので、まず引き紐のついている端を袋がそりから転げ落ちないように慎重に段差にひっかけさせると、今度は反対側に行って、押すようにして板の間に乗り上げさせようとする。しかしこの袋、何が入っているのかかなり重い。大体人間一人分くらいの重さだ。しかも、そりを持ちあげようとするとかなり上の方にあるらしい重心がゆらゆらと揺れるのを感じる。それなりに柔らかい物なのだろう。まるで意識のない人を持ちあげようとするような塩梅だ。そのとき、心の中を渦巻いていた疑心暗鬼に気を取られてしまったせいであろうか、ぐらりと袋がこちらに傾いだのに対応できず、そりから転げ落ちようとするそれを体で受け止めてしまうような形になってしまった。全身総毛立った。それは柔らかく温かかった。ちょうど人の肉くらいの、中に骨を感じさせるくらいの柔らかさせ、ちょうど人の体温くらいの、表面は少し冷たいが内部に熱を感じさせるくらいの温かさだった。私は思わず悲鳴をあげて押し返して後ずさった。そして金属のドアに思い切り後頭部をぶつけて。頭を抱えて玄関の上り口にうずくまる。しばらくそうしながら、必死に考えた。これは何だ? 私は一体何を押し付けられたんだ。死体? いやあれは温かく柔らかかった。それにこころなしか息づいていたような気がする。いや、一瞬だったのではっきりとは言えないが。では生きている人。いや、しかしそれならば、今ので目を覚ましてもいいはずだ。でもそんな様子はないそれでは何だというのだ?

 そろりと顔をあげて様子を見るが、押し返されたことにより形は崩れたが相変わらずそりの上に鎮座しているそれには、一向に変化の兆しはない。思い切って中を見てみるか? しかしそれは李によって禁止されている行為だ。あいつに禁止されたからなんだという心の声も聞こえるが、しかし今回は何だか気持ち悪く、怖いもの見たさと、見てはいけないものを見て得したことがあったかという、過去の意味不明なドタバタ騒ぎを思い返せという理性の声が戦っている状態だ。ふと気がつくと、李の悲鳴が聞こえない。下宿全体がしいんと静まり返っている。私が頭にこぶをこさえている間にことが済み、李は無事処理され、あの怪しい二人組も古代エジプトに帰ってしまったのだろうか。そうっと部屋を出て、きょろきょろと廊下を見回す。誰もいない。

 そうだ、ごみとして捨ててしまえばいいんじゃなかろうか。

 一瞬だけいい思いつきと思えたがすぐに問題にぶち当たるのは、私のすべての一瞬だけいい思いつきに思える思いつきに共通の性質だ。まずこれはどういう分別にすればいいのだろうか。最近のごみ収集は分別が正しくないと持って行ってはくれない。燃えるごみだろうか。まあ多分燃えるだろう。だが、例えばこれを少々無理やり燃えるごみのごみ袋に入れて外に出しておくとして、果たしてこれを持って行ってくれるだろうか。ごみ収集の人がこれを収集車に入れようと持ち上げた時、果たしてごみ収集の人はなんの疑問も感じないもんだろうか。そんなことはなかろうと思えるのだが。

 ではどうするか。何らかの手段でバラバラにするか。そうすれば小分けにしてごみ袋に入れることができる。しかし、そうするためにはとにもかくにも中を見なければ始まらない。それはさっき嫌だと言ったばかりの考えではないか。

 そうだ! 何もごみとして捨てる必要はないのだ。「福袋です。名前はテケヌです。どうか拾って可愛がってください」とでも書いた紙を添えて道端に放置してやればいいのだ。そうすれば誰か優しい馬鹿が拾って持って帰ってくださるかもしれない。 

 「それがいい、それがいい、と海賊たちは言いながら、上品に流れて行きました、マル」

 と思わず滅多に言わない口癖を口ばしりながら、今度は逆にそりを押し返そうとする。すると袋の中から、

 「う……ううん……」

 と吐息のような音が漏れるのが聞こえてしまったのである。はっきりとは断言できないのだが、少女の声のようであった。私は驚きのあまりのけぞって、そのまま後ろに倒れた表紙に柱に後頭部をぶつけた。駄目だ、このままでは頭がでこぼこになってしまう。その前になんとかしなければ。

居間の真ん中のコタツを挟んで私とそれは一方通行のにらめっこをしている。もし仮にそれの中に入っているのが人間だったしても、こちらを向いている保証はないし、そもそも顔を上にしてそりに乗っているのかすら不明だ。しかし本当にそうなのかどうかはともかく、私の中でこの中にいるのだ人間だという印象はどんどん高くなっていってしまい、そうすると心情的に非人間的扱いはしにくくなってしまう。惻隠の情というのは時として不便なものだ。しかも今は中身の性別に関する印象まで形作られようとしている。これは実際にどうかという問題では全くなく、私の頭の中に勝手に形作られていくもので、全く迷惑千万なものなのだが、止めるに止められない。そうすると部屋の温度まで変わったような気がするし、そういえばさっき受け止めたときの柔らかさは、というように記憶の捏造まで行われる始末。百歩譲って実際にこの中に女性が入っていると仮定したとしたら、世の中にこれほど露出度の低い女性もそうはいないと考えるのだが、それにもかかわらず目のやり場に困るというパラドクス。袋をじっと見つめるのもぶしつけかと思い、仕方がないので部屋をぐるりと見回すと、見慣れた非常に汚い我が砦しか目に入らないので、結局まるで透視でもするかのような眼光でそれを見つめるしかなくなってしまう。しかしそれも長くは続かず、コタツの中で足が勝手にもぞもぞし始め、落ち着かないので、「よし、掃除でもするか! 部屋が汚いしな!」と誰に言っているのか不明な文言を吐いて、めったにしない掃除なんぞをしはじめてしまう。いけない、まったくいけないね。浮足立ってしまって全く私らしくもない。部屋に女性が来たから何だというのだ。いつもどうり堂々としていればいいのだよ。ほら、お茶くらい出さないか! と急いでやかんをコンロに掛けて、お茶の葉を探すのだが、そういう問題じゃないだろう! とお茶の葉を撒き散らしながらくるくる回りながら叫んでしまう。お茶の葉の散らばった床に手をついて、お茶の葉を手で掬ってはそれを指の間からまた床に落とし、じっと手の平を見る。

 「俺は馬鹿か?」

 やっと気づいたか、この愚か者めが。

 なんとか落ち着いた私は床のお茶の葉を箒で掃きとり、お茶の葉が埃を吸い取って床が綺麗になっていることに驚き、残ったお茶の葉でお茶を二人分入れるとコタツに戻って一つは自分の前に、もう一つはテケヌの前に置く。そしてコタツの中に潜り込むと、ちびちびと熱いお茶をすする。テケヌの前に置いてあるお茶は冷ますに任す。時間は静かに流れていく。夜ばかりが無意味に更けて行く。

 というわけで三日たった。李から来るはずの、「ことの真相」とやらは一向に来ない。彼女との生活もいい加減慣れてしまった。いつの間にか彼女ということで個人的に決定されてしまっていることにも、また慣れた。出かけるたびに「行ってきます」と言い、帰る時に「ただいま」という生活は久しぶりだったので、何だか新鮮だった。食事をとるときには彼女の前にも形式だけ食器を置いて、彼女に向かって今日あったこと、考えたこと、「孔子・ゴーダマ・ソクラテス、人類最初の思想家たちをちゃんと倒すプロジェクト」の進展について話し。ときどき「今日も食べないのか?」と心配そうに話しかけた。今日で三日目だ。そろそろ何か食べないといけないような気がする。自分がものすごく馬鹿な心配をしている気もするが。いや、これは気のせいではない気がする。

 しかし、その三日の間、漫然と過ごしていたわけではない。一人暮らしをしていた時と比べて部屋は飛躍的に綺麗になったし、食事も買いだめのスパゲッティにマヨネーズをかけただけのものやコンビニ物の総菜ではなくちゃんとしたものを食うようになった。やはり人の目があると違うものだ。ないけど。

 万年敷きっぱなしになっていた布団は一度日に干して、彼女のためにつかい私は隅に押しやったコタツ布団にくるまって寝る。何と言ったって彼女はお客さんなのだ。布団で寝る権利は彼女にある。

 いや違う。「漫然としていたわけではない」というのはその手の「主観的には充実しているが客観的には怖ろしく不毛な行為」を指して言っているわけではない。ちゃんと自分なりに彼女が何者なのか調べていたのだ。

 「テケヌ」というのはやはりエジプトに関係している物らしい。エジプト古王国時代から新王国時代の初期頃まで(BC3000頃〜BC1500頃)の貴族の墓の壁画などに描かれる謎の袋であり、すっぽり入っていたり、頭部だけ出していたりする。ただその頭部ももしかしたら袋の一部であり、中に入っている人の頭部とは限らないかもしれない。日本語の本には王族以外の葬儀において何らかの役割を果たしたと書いてあるが、英語文献にその記述を見出せないのが怪しいのだが(以前荼枳尼天について調べていたときに、インドのダーキニーがジャッカルに乗っているので、日本に伝わったときにジャッカルがいないから狐になったと書いてあるにも関わらす、ネットで画像検索してもジャッカルにのっているようなそんな画像はないので不思議に思っていたら、どうも漢訳仏典でダーキニーが使役する野干という謎の動物を南方熊楠が『十二支考』でジャッカルと推定したのが、いつの間にか荼枳尼天が狐に乗っているのはダーキニーがジャッカルに乗っているからという俗説になったらしいことが分かったということもあり、日本語文献だけ読んでいるとポカをするという経験がある)、まあ墓の壁画や葬儀に関するパピルスに描かれるわけだから、何か死に関係するものであることは確かであろう。どうやらむかしのエジプト学者は、顔が描かれたり、また場合によっては袋なしで、人間の姿のまま橇に乗せられたりしている図もあることから、これを生贄と見ていたようだ。しかし、その後別の説の方が有力になることになる(そういえばエジプトにも生贄の風習はあったはずだが、誰かの墓からその手の人柱の死体が見つかったという話はあまり聞かないな)。一つの説はこの袋が良くカノプス壺(死体をミイラにするときに胃・肺・肝臓・腸の彼らにとって重要と考えられた内臓を取り分けておくための壺)と一緒に描かれることが多いことから、これはその他のあまり重要と考えられない臓器を入れておく袋なのではないか、という説。その場合、袋の顔はフェイクである。しかしすると、人間の姿のまま橇に乗せられていたり、袋に入った人間が立ち上がろうとしている図が説明できない(ただ単にこれはまた別の物ということになるんだろうが)。もう一つの説は、これはある種のシャーマンなのだ、という説だ。そのシャーマンは袋の中に入ることにより神懸かりの状態になり、葬儀の神聖な儀式に一定の役割を演じるのだ。これなら、テケヌの様々な諸相が説明できる。また別の説として、生贄の儀式が形式化したものではないか、というものもあるが、これはもしかしたら、先ほどのシャーマン説と組み合わせられるかもしれない。

 と、ここまで語ってきたものの、結局確かなことは分からんのだなあ、としか言いようのないことに気付かされる。何もかも証拠も何もない憶測にすぎない。そしてこれは未発見の墓かパピルスかが見つからないかぎり、分かりようもない。すでに何千年もの時間が過ぎてしまい、今更その時間の壁を越えようとするのは溶けた氷を残った水から再現しようとするようなものだ。

 そして李はその無理なことをしようとし、そして部分的に成し遂げてしまったのだ。それが目の前のこの袋詰めの謎として結晶している。李が古代エジプト人たちに命を狙われたのも、彼が絶対に破られてはいけない禁忌を犯してしまったからであろう。

 禁忌! タブー! 何と甘美な響きであろうか。見てはいけないと言われることにより、全ての行為に秘密と背徳の美酒が隠し味として足される。『金枝篇』にあるように、本来タブーとは強い超常的力を秘めるがゆえに危険視されたものであるので、近代の薄っぺらな世界観におけるような一方的な排除ではなく、神聖視されると同時に畏怖される対象なのだ。タブーを越えてしまった者は神になってしまうがゆえに、危険だったのだ。

 結局私は李の唯一の友人であり、同類であったのだな。東に押してはいけないスイッチがあれば、押して見事な自爆を披露し、西に開けてはいけないドアがあれば、開けていにしえの悪霊どもを娑婆に解き放ち、南に小美人の住む島があれば、ショウビジネスで一儲けしようとさらって来て、北に隕石の中から出てきた凍り付けの物体Xがあれば、無計画に溶かしてみる。そんな私がこの局面で打つべき一手は、言ってはなんだが決まっている。

 「そろそろ俺たち、結婚してもいい頃だと思うんだ」

 4日目の夕飯に、ぐつぐつと茹だったおでん鍋を二人で囲み、巾着袋を、お餅かな、お餅じゃないかな、などとつつきながら、私は不退転の覚悟で話を切り出す。彼女は少し驚いているのか、なにも言わない。微動だにしない。机においてある取り皿には、私が盛ってあげた味の染みた大根ときっと彼女が好きに違いないと論理的に予想したロールキャベツが手も付けられず入ったままで、覚めていこうとしている。

 彼女からは何の反応もない。もしかしたら困っているのかも知れない。もう少し待った方が良かったのだろうか。考えてみれば、まだ会って数日だ。男女の関係を気付くために踏むべきステップがいくつあるかには、ANSIやISOで今も議論が重ねられているが、私がそれをすっ飛ばしていることは間違いない。

 しかし恋の階段は一段一段昇るためだけにあるわけではない。時には、転げ落ちるためにもあるのだ。吐いた唾は飲めない。言ってしまったものは、もう仕方がない。こうなってしまっては、当たって砕けるしかしようがない。

 「指輪も買ってきたんだ!」

 私は用意しておいた入れ物を出そうとポケットをごそごそほじくり返して、無限に湧き出る綿埃と糸屑をかき分ける。

 「ほら、指輪は給料三ヶ月分っていうだろ。それでその値段で探したんだけど、俺無職無収だから、三倍しても0は0なんだよな。その予算で指輪見つけるの大変だったんだから」

 と俺が出したのは、当てもなく歩いていた火山の亀裂で拾った金の指輪だった。宝石も何もない地味なものだ。だが、とっておきがある。

 「見て、これ凄いんだよ」

 とおでんの串に引っかけて、簡易コンロの火に近づける。すると、見たこともない不思議な文字で書かれた文章が浮かび上がる。

 「な、不思議だろ」

 精一杯の笑顔でそう語りかける。しかし、彼女の表情に変化はない。そもそもどこが顔だかお尻だか。

 「なあ、なんか言ってくれよ。でないと、俺……」

 確かに私は人間で、彼女は袋だ。しかしだからなんだ。人間と袋の違いなんて、人間は入れるところと出るところが別々だということくらいじゃないか。愛があればそんな違いなんてどうにかなると信じたかった。もし、愛ではその溝を越えられないというのならば、

 「うわあああ!!」

 残る選択肢は力尽くだ。

 とち狂った私は、おでんの鍋がひっくり返るのもかまわず机を飛び越えて、テケヌに飛びかかった。腕力で手籠めにしてしまおうという戦略だ。

 抱きついた拍子に、テケヌと私は絡み合ったまま、橇から床に滑り落ちる。その瞬間、袋の中から、グエッという呻き声がして、急に手足と思しきものが暴れ始めた。

 予想外の事態に、私はすっかり肝を潰してしまう。この数日の共同生活の間に、袋としてのテケヌに愛情を感じるにつれて、すっかりテケヌの中に何かが入っているということを失念してしまっていたのだ。もしかしたら中に入っているものもこみでテケヌなのかも知れないし、テケヌの中に何かテケヌでないものが入っているのかも知れない。後者だったら、私が愛しているのはどっちなのだろうか。

 悩んでも仕方ない。乗りかかった泥舟だ。

 「暴れんな……暴れんなよ……」

 どうにか手足を床に押しつけて、抵抗できないようにさせようとする。もう何を目的に何をやっているのか全く分からなくなっているが、私はもともとやってしまってからものを考えるエピメテウスの立派な子孫である(頭が悪いわけではない。人並み外れた頭の良さを後悔することに全力集中させ、決して今後の糧にはしないだけだ)。例えこの袋の中から出てくるのが、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪であろうと、私は猛り狂った思いを遂げるのを止めないであろう。

 「うおおお」

 私は袋の縛り口をほどくのももどかしく、布地に爪を掛けて無理矢理引っ張った。ストッキングよりは丈夫だが、タイツほどの抵抗はなく、びりびりとそれは破け、中から顔を出したのは、

 「ぎええええええ!」

 「ぎゃあああああ!」

 何を隠そう、李の姿だった。

 お互い落ち着いて話を聞いたことによると、李は古代エジプト人に捕まったあと、袋に詰められて、古代エジプトに連れ去られたらしい。気は確かか、と聞いたところ「気は」の部分は聞き逃したらしく、「ああ、袋の中から空港のアナウンスで、『12時30分発、古代エジプト行きテラニアン航空2便に御搭乗のお客様は……』って言ってたから確かだ」と答えた。そうか、古代エジプトには航空便が通っているのか。思ってたよりも近代的だな。

 「そして、向こうに着いたあと、袋の中からでも暗い地下と分かるところに連れて行かれ、まわりで篝火が焚かれ、低い不気味な呻き声のような歌とも呪文とも知れない声が低い天井に反響し、何かの儀式が執り行われているのは確かだった。俺は怖くて、全く動けなかった。そこへ、誰かが俺の詰められた袋に近づいてきて、突然俺につかみかかったんだ。俺は、とうとう我慢できなくなって、暴れた。そして……そして、外から袋が破られたと思ったら、お前の顔が見えたんだ」

 説明はそれだけだった。エジプトでどうやってこの袋を見つけたのかや、死んだ後に公開されるはずの秘密情報などは、全く覚えていないらしい。もしかしたら、あまりの異様な状況とショックによって、一時的な記憶喪失になっているのかもしれない、と本人は言っていた。

 しかし、それから何ヶ月経っても、思い出す兆しは全く見えない。最近では、オルゴンエネルギーを使って、雲を消す研究に邁進し、私もたびたび実験に付き合わされ、一度などは私まで死のオルゴンに侵されかけた。簡単に言えば、どうってことのない普通の日常が戻ってきた、というわけだ。拾った指輪の件で、またすったもんだがあったのは別の話。

 そしてついでに私の遅い初恋も終わったのだ。

 この話から教訓を引き出したい人のために、一言用意しておいた

 「人生は袋ではない」

 適当に考えたので、これがどんな意味なのかは私は知らないが、各自適当に解釈して他山の石として頂ければ幸いである。

 2011/01/?? 作成開始

 2011/02/01 一時中断(この作品について話している最中に3.11にあったことを覚えている)

 2013/07/03 再開

 2013/10/01 再再開

 2013/10/03 第一稿完成

解説

「テケヌ」を知ったのは、彩図社『トンデモ神様辞典』からだったかな。

この作品をすごい覚えている理由はあの3.11のときにまさに大学のmacでこの作品を書いていたから。

知り合いが、キャスター付き椅子の背もたれをゆらゆら揺らしていて、私が「揺れてない?」と指摘しても、自分が揺れてるせいで揺れに気づかなかったのが印象に残っている。

すぐに窓のブラインドがギャンギャンガラスに当たって、どう考えても揺れてることが分かった。

まずは目の前のmacで情報収集しようとしたが、何も分からず、結局研究科の普段は全く使われてないテレビでひたすらNHKニュースを見ていた。

仙台の平地が黒い波に飲み込まれているのを、呆然と眺めた後、東京から来ていて、帰れるかどうか全く分からないというサイエンス・ライターの講演を聞いて、「サイエンス・ライターでは食っていけない」という結論を突きつけられて、暗澹たる気持ちになったのがついこの間のようだ。

それから長く放置した後、続きを書いて完成させた。

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