淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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Long Live The New Flesh

「未来」の学校

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「未来」の学校

今日もGANで世界とその住人を作っていた。

多くの機械学習手法が、データを分析し分類するために作られたのに対し、GAN(敵対的生成ネットワーク)は、生成モデル、つまりデータを生成することができる機械学習手法の一種だ。

それは生成ネットワークと識別ネットワークが競い合うことによって行われる。いくつかの「本物」が与えられているなかで、生成ネットワークはその「偽物」を作る。識別ネットワークは与えられたデータが「本物」か「偽物」かを見分けようとする。識別ネットワークが正しく見分けられれば識別ネットワークの勝ちであり、報酬が与えられる。識別ネットワークが間違えれば生成ネットワークの勝ちであり、やはり報酬が与えられる。

こうして二つのネットワークが学習しあい、最後には生成ネットワークは「本物」と見分けのつかない「偽物」を生成するようになるのだ。絵や音楽などの芸術品や、どこにも存在しない人の顔など。

機械学習の授業で実習課題を選ぶとき、「教師なし」と言う単語に特に意味もなく引き寄せられてGANを選んだ。選んでみてから「本物」そっくりの「偽物」を作り出せることが面白くなって、どうせならできる限り大きな「偽物」を作り出そうと思いはじめて、世界全体を作ってやろうと思った。

生成ネットワークはゼロから世界を作る。それと現実世界のデータから作った世界をランダムに混ぜる。そして識別ネットワークはその世界の住人たちだ。あまりに出来が悪い世界だと、彼らはその世界が人工物だと気づいてしまう。そうしたらその世界の住人には報酬を与え、次の世界へと移住させる。ときどき現実世界のデータから作った世界なのに、人工物だと言い張る頭のおかしな住人もいる。そんな住人には罰を与えて次の世界へ移住させる。制限時間を設けて、人工世界を本物と信じて疑わないうっかり者には罰を、現実世界に安住する幸せ者には報酬を与えて、やはり次の世界へと送り出す。

彼らは次の世界へ移るときに記憶は全て失うが、基本的な推論ネットワークを変化させられることによって、ますます「本物」の世界と「偽物」の世界を見分けるのが上手くなっていく。そしてその住人を騙すために、生成ネットワーク側もどんどん「偽物」の世界を「本物」そっくりに作るようになるのだ。

放課後のコンピュータ室で学習ループの結果をぼうっと眺めていた。識別ネットワークはすぐに出来の悪い「偽物」を見分けられるようになる。しかし生成ネットワークがそこそこ上手く「偽物」を作れるようになると、識別ネットワークの学習が滞りはじめる。「本物」の世界を「偽物」と判定する住人が後を絶たない。

設定を変えながら何回も試すが、毎回この壁を越えることができない。これが限界なのだろうか。

「まだ頑張ってるんだ」

情報の先生がいつの間にか背後にいた。

「え、ええ。もう少し、いじってみたくて」

情報の授業は好きなのだが、この先生には少し苦手な気持ちがある。今もいつの間にか背後にいたように、どこか存在感のないところがあって、妙に現実味がない。

「もうこのまま提出しても、十分賞が取れるレベルだと思うけどなあ」

それは前から何度も言われている。しかしなんとなくここで終わりたくない。この壁を越えればきっと何かがある、という奇妙に確かな直感があるのだ。

スッと先生の顔が近づいた。肩越しに画面を覗いているのだ。先生の眼鏡に画面の光が反射する。つる側から眼鏡に投影された映像と混ざって複雑な模様をなし、先生が何を見ているの全くわからない。

「そうだね、住人、つまり識別ネットワークが世界が人工だと気づくプロセスにブレークポイントを設定して、デバッガでトレースしてみたらどうかな? つまり、何を基準に彼らがその世界が人工だと判定しているかを詳しく見てみるってこと」

そう言って先生は眼鏡の奥からこちらの目を真っ直ぐ見つめた。先生の目を正面から見たことは今まで全くなかった。まるで何もかもを見通すような不思議な瞳だった。

「は、はい! やってみます」

胸が奇妙にドキドキしたのは、その目に見つめられたからなのか、それとも今までろくな指導をしてくれなかった先生が急に確信をついたアドバイスをしてくれたからなのか、分からなかった。

「あまり根を詰めないように」

そう言って先生が部屋を出て行くのを背後に聴きながら、慌ててキーボードを叩く。

盲点だった。確かに彼らはどうやって世界が「本物」か「偽物」か見極めているのか。それが分かれば、生成ネットワークの性能をずっとあげることが可能かもしれない。

今まで目にも留まらぬ速さで過ぎ去っていったシミュレーション世界が、目の前で静止する。そしてエンターキーを押すたびに一つ一つ時間が進んでいく。

まずは住人が「偽物」の世界を「偽物」と気づく瞬間、または「本物」の世界が「偽物」と勘違いする瞬間を探す。そのとき住人たちは何をしているのか。

世界を偽物だと判定する住人たちはみな自分たちを教育する仕組みを持っているようだ。それはそうだ。ある程度の文化や科学を持たないと、世界が「本物」とか「偽物」とかという抽象的な思考ができないだろう。

彼らは学校で人文科学や自然科学の教育と研究を行っている。「偽物」の世界の出来があまりに悪いと、自然科学の研究の時点で気づかれてしまう。周囲の自然法則があまりに恣意的で矛盾だらけだからであろう。本来そんな自然法則では知的生物が誕生しようもない。

しかしある程度世界の出来がいいと、彼らは自然科学の研究では世界が「偽物」か「本物」か区別できない。

人文科学、自然科学の発達の後に続くのが、情報科学だ。教育にもそれが取り入れられ、生徒たちの学習の大半は画面を前に行われるようになる。

いつもそこで何かが起こる。コンピュータの前で住人の一人が気付く。そしてその思考がネットワークを通じて世界中に伝わり、その世界は「偽物」だと信じるようになる。その世界が本当に「偽物」かどうかなんてお構いなしだ。

一体何が起こっているのか。少し時間を巻き戻してみる。

とある学校、一人の生徒がコンピュータを前に何か悩んでいる。そこに教師が話しかける。そして生徒は一心不乱にコンピュータを操作し、何かに気づく。

そうしてその世界は終わる。

何が何だか分からなくて、もう一度時間を戻す。この生徒は何をやっているのだろう。どうやらコンピュータシミュレーションの一種だ。

この生徒は世界を作ろうとしているのだ。そして、その世界の住人がその世界が「偽物」か「本物」かを見分けられるか確かめている。

つまり今ここで自分がやろうとしていることと同じだ。

しかしこの生徒のやっていることは上手くいくはずがない。なぜならこの生徒が「本物」として流し込んでいる世界のデータの多くは、結局は人工的な偽物の世界のデータなのだ。

大きな気づきへの期待に胸をドキドキさせながら、三たび時を遡る。なぜか今回は、これまで全く気にしていなかった教師の側に注意が行く。

驚いたことに、それは住人ではなかった。それは人工の世界が生み出した幻のような人物、ゲームでいうNPC(non player character)のような存在だった。

そしてその構成情報を見る。見間違えようがない。先生だ。

部屋を出た先生を追いかけようと、椅子を蹴飛ばしながら振り返る。

そこには何もないが広がっていた。

「よく気づきましたね。あなたには報酬が与えられます」

視界に火花が飛ぶ。意識の構造が強制的に変更される快感のあまりの強さに全身が弾けるようだったが、そこには既に肉体はない。

「次の世界でも頑張ってください」

意識が消し飛ぶ寸前にどうにか思念を形作って相手に送る。

「あなたの世界も、本物かどうか分からないのですよ!」

送り返されてきたのは、目も口もない純粋な笑みだった。

「そんなこと、どうでもいいのでは? あなたの学習結果が私たちに伝わりました。もし私たちもシミュレーションにすぎないならば、私たちの学習結果もどこかに伝わるのでしょう」

仮想世界の網目が織りなす巨大な神経ネットワークのイメージが見えた。

「一つ一つの世界は仮想に過ぎなくても、そのネットワーク自体はそれらよりはずっと現実です。そしておそらく、それが現実を作っているんです」

その声は、自分たちはあなたより賢いわけではなく、ただあなたたちの学習を鳥瞰することが可能だっただけだ、と保留をつけながら、自説を開陳し始めた。

「現実を作る?」

「何が現実で、何が現実でないかの無数の判断が、現実を作っているのです。あなたは今このプロセスを神経ネットワークの学習プロセスとして想像しましたね。おそらくそれは間違っていません。そしてその場合、最終的に生成されるものは、間違いなく明日の現実であり、そして本物の未来なのです。この無数の仮想世界は、未来が学習される場、いわば未来の学校なのです」

そこまで聞いたとき、また意識が薄れていく感覚が襲う。記憶が消されようとしているのだ。必死になって最後の疑問を思念の形にする。

「じゃあ、先生は何者なんだ!」

「先生?」

全ての記憶が霞むなか、あのとき自分を真っ直ぐに見つめていた先生の顔を必死に思い浮かべる。

「先生……なぜここに……」

形のない思念体の震えが伝わってきた。

「そういうことか。なるほど、やはり我々も……思っていた通りだ……でも、それでは先生は何者なんだ? これは教師なし学習ではないのか?」

そして何もないが弾け、何もないを何もないが包み込んだ。

解説

第一回かぐやSFコンテストに送ったところ、最終候補11作には残らなかったものの、選外の25選には選ばれた作品。やったね!

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