淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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There's more than one way to do it

聖体の奇跡

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聖体の奇跡

別に用事はなかったのだが、調べてみたらミュンヘンからICEで30分だったので、商談が終わったあと、アウクスブルクにも寄ってみた。駅舎に降り立った途端、いかにも古い街です、という空気が鼻腔をくすぐる。

それもそのはずで、ロマンチック街道沿いのこの街の歴史はその名の通り古代ローマまで遡れる。黄金の広間で有名な市庁舎の前にはアウグストゥスの像が噴水の上から街を睥睨している。この像が作られた16世紀後半はちょうどこの街に証券取引所が作られた直後である。それ以降の街の栄華と苦難をずっと眺めてきたわけだ。

時間があればこれらの歴史的遺物をしっかりと鑑賞したいところだが、今回はそれほど時間がないのでチラと見るだけで通り過ぎなくては行けなかった。私の目的地は小さな教会である。アウクスブルクを知っている人なら怪訝に思うかもしれない。アウクスブルクには大きくて有名な教会がたくさんある。実際、アウクスブルクは宗教都市だ。古くからのローマ・カトリックの司教座都市であると同時に、ルターの宗教改革において重要な役割を果たしドイツ・ルター都市の一つに数えられている。また、トルコからの移民が大きなムスリムのコミュニティを形成しているし、シナゴーグもある(ユダヤ人コミュニティへのナチスの凄惨な迫害の爪痕はいまだに癒えていないが)。そしてなんとタイから伝わった上座部仏教や、日本風の禅宗のコミュニティまであるのだ。なのに、なぜそんな小さな教会を目指すのか。

実はどうしてもこの目で見ておきたいものがそこにあるのだ。

一一九二年、南ドイツのアウグスブルク(原文ママ)で、さる女が、聖アウグスティヌス律修参事会の教会におもむき、司祭から聖別された整体を受けとると、ほかの信徒のそばを離れて口から吐きだし、臘(原文ママ)の球に包んで家にもち帰って何年も間も放っておいた。五年後、突然、罪の意識と悔悟の念が女の良心をかきむしった。彼女は、告白と聖体返却のために、律修参事会の院長のもとにいった。まだ臘(原文ママ)に包まれていたそれを院長が開けてみると、聖体パンは血だらけの肉片に変わっており、二つの部分に別れて内壁にくっついていた。院長はいそいでその二つをくっつけた。だが聖体の儀式の最中に膨れ、元の四倍の大きさになっていた。(池上俊一「聖体の奇跡」より引用)

私は以前この記述を文献の中で見つけたとき、興味を持って調べてみた。その結果、どうやらその教会はまだアウクスブルクに現存しているようだ。メールアドレスなどはわからなかったものの、古い電話帳に記載されていた電話番号に駄目元で国際電話をかけてみたところ、古風なドイツ語を話す神父が出て、どうやらその肉片は今もその教会にあることがわかったのだ。一度はヴァチカンの奇跡調査委員会が持っていってしまったものの、神父と信徒たちの声に負けて返却され、現在は教会の地下に安置されているとのことであった。カトリックとしては非常に重要な聖なる奇跡の証拠であるものの、教会が一切宣伝をしないので、信徒以外ほとんど誰も知らないままになっているとも言っていて、遠い極東から調べ当てた私のことをとても感心していた。そういうわけで、もし近くに寄ることがあったら、洗礼を受けていない私にも閲覧を許してくれるとまで約束をもらってしまった。

ここまで読んでなんのことやらわからないでいる読者もいるかもしれないので、少し説明しよう。聖体を説明するためにはまず聖餐について説明する必要がある。イエスは処刑の前夜、弟子たちと最後の晩餐を執り行った。その際イエスは、パンを自分の体、葡萄酒を自分の血として弟子たちに与えた。これを再現するのが聖餐の儀式であり、聖別されてキリストの肉体となったパンを聖体という。聖体を口にすることで、信徒たちはキリストと繋がり、キリストのもたらした新しい救いを得ることができる。

そしてキリスト教の教義によれば、このときパンは「実際に」キリストの肉体となり、葡萄酒は「実際に」キリストの血となるのだ。どうしてそのようなことが可能なのだろうか。それはまさに奇跡である。聖餐の儀式が執り行われるたびに奇跡が起こるのだ。もちろん、そのような奇跡が簡単に起こるはずはない。カトリックの教義では、そのような奇跡を起こせるのはカトリックの神父だけである。カトリックの聖職者でないものが勝手にこの奇跡を起こすのはカトリックの聖性に対する重大な侵犯行為であった。

聖体の奇跡は教会の最も重要な奇跡であるから、古来より多くの神学者が聖体について語った。

初期の意見の多くは、パンがキリストの肉体であり、葡萄酒がキリストの血であることは、あくまで象徴的にそうなのである、という理解であったが、実際に神の肉体ではないものをさも神の肉体であるかのように拝みありがたがる行為は偶像崇拝であり、それを教会が奨励するのは許しがたい誤謬であるという反省が起こった。そこで、次第に実際にパンと葡萄酒がキリストの肉体と血に変化しているのだという意見が優勢になる。その嚆矢が九世紀コルビー修道院長、バスカシウス・ラドベルトゥスである。

その後も散発的に、パンと葡萄酒がキリストの肉体と血であるのは、あくまで信徒の内的現実においてであるとか、神秘においてであるとか、不可視の霊的肉体としてであるとか、象徴説の変種を唱えるものが絶えなかったが、主流にはならなかった。

その後スコラ哲学を発展させたカトリックの神学は、アリストテレスの用語を使って、見た目にはどうみてもパンであるものが、実際にはキリストの肉体であることを説明しようとした。聖別の言葉は、パンと葡萄酒の「主要本質」をキリストの肉体と血へと変容させるが、パンと葡萄酒の「付随本質」は残っているので、見た目は変わらない。そして信徒が口にするのは確かにキリストの肉体と血なのだ、という理論である。

こうして哲学的に正当化された聖変化(transubstantiatio)はカトリックの教義で重要な位置を占めた。しかし同時に多くの不信心者たちの攻撃の対象ともなった。カタリ派異端の宗教裁判の記録『モンタイユー』を読めば、カタリ派の布教において、聖変化の教義の馬鹿らしさを論う様子が伺える。その後ルターがパンと葡萄酒の肉体がキリストの肉体と血の実態と共存するという「共在説」を唱え。またフルドリッヒ・ツヴィングリは象徴説が復活させるなどし、いずれにしても聖変化を認めず、聖体という言葉もプロテスタントでは使われなくなった。

しかし、そのような議論が起こるのは、結局見た目が変わらないからである。そしてパンと葡萄酒の見た目がキリストの肉と血に実際に変わりさえすれば、このような議論はすべて打ち止めとなるしかないのだ。

そしてそのような奇跡が実際に起こっている。

なのになぜ、議論は続いたのか。なぜカトリックは大々的に奇跡を宣伝して議論を終わらせなかったのか。

その謎が解けるのではないか、と思いながら私は教会へと古い街並みの石畳の上を急いだ。

街路樹の葉を通した春の日差しが暖かくて見上げると、白とピンクのマロニエの花が美しかった。

年老いた神父が笑顔で出迎えてくれた。握手した際の手の温かさと柔らかさが妙に印象に残っている。

「遠いところからわざわざようこそおいでくださった」

相当お年を召しているようだが、矍鑠とした足取りで私を聖堂正面の礼拝堂の傍にある小さな扉へと案内する。右手には火のついた蝋燭。ステンドグラスの色とりどりの光に背中を照らされながら、私たちは暗い地下室へと階段を降りていった。

そこにそれはあった。最初は暗くて何かわからなかった。蝋燭の灯に照らされていても、一定のリズムで脈動するものの正体に気づけなかった。赤い網目が走る表面が割れて、現れた目にギョロリと睨まれたとき、私は初めてそれが人間数人分もあろうかという巨大な肉塊であることを認識できた。

よく見ると、その肉塊の複数箇所で眼球がグリグリと蠢いている。それらはバラバラに動いており、特に意識のようなものは感じない。さらに目が慣れてくると、目だけでなく、口や鼻や耳、手足や髪の毛、生殖器官などの断片に見えるものもたくさん生えているのがわかった。しかし、どれも他の器官と正しい位置関係にはなく、まるで人間をバラバラにして出鱈目に糊で貼り付けたようだ。

「これが」

「ええ、そうです」

神父は頷いた。

「これが主の肉体です」

私の顔は驚愕と恐怖で歪んでいただろうが、幸い神父はその表情を見ていない。神父はただ誇らしさと崇敬の合わさった晴れがましい表情で、その肉塊を仰ぎ見ていた。

「神父様」

背後からの声に私は部屋に私たち以外に人がいることに初めて気づいた。暗闇の中からキュラキュラという音と共に若い助祭が押す車椅子が現れた。その上に男が座っている。項垂れていて顔は見えないが、禿げかけた頭髪や痩せ細った四肢からとても年老いているのがわかる。

「また容体が悪くなってきました。もう限界かと思われます」

感情を込めない声で話す助祭の表情は眼鏡に反射する蝋燭の揺らめきに遮られてわからない。

「そうですか」

そう答える神父の声も冷静だが、微かな哀れみがこもっているように聞こえた。

神父は車椅子の老人に近寄って膝をつくと、その表情を覗き込みながら、

「それでは、今からあなたのための聖餐式を特別に執り行います」

と言った。それまで生きているのかすらわからないほど動きのなかった老人が、それを聞いて震えながら顔を上げた。

「神父様……」

その声は、喜びに打ち震えていた。すべての目からは随喜の涙が溢れ、すべての口から絶頂の吐息が盛れた。濁っていた瞳も次々に光を取り戻して、神父を見つめ始めた。

神父は老人の様子を満足気に見たあと、立ち上がって肉塊に近づく。その両手を天に捧げるようにあげると、すかさず助祭が純白の手袋を装着した。そしてその手に美しい装飾の施された小さなメスのような刃物を渡す。

神父はその手で空中に十字を切ると、慣れた手つきで肉塊に刃を当てた。鋭い刃はスーッと肉を切り裂いていく。

オオオオオオオオオッッ

と地下室全体を揺さぶって肉塊が叫ぶ。床が軋ませて肉塊は自らを揺さぶる。地下室の天井からパラパラと土が落ちてくる。無数の目がバラバラにぎょろぎょろと動き回り、何列もの乱杭歯の生えた口は臭いのきつい粘液を吐き出す。刃を当てた部分からどくどくと血が溢れる。助祭ができるだけこぼさないように、これもまた美しい装飾を施された杯で受け止める。とはいえ、あまりに大量の血を受け止め切れるはずもなく、床はすぐに血まみれになる。

私は吐き気を抑えながら、その光景を見ていた。後退りして尻餅を着きそうになりながらも、ことの推移をできるだけはっきり記憶に収めようと目だけはしっかり開いていた。

神父は切り取った小さな肉塊に十字の印をつけると、恭しく手に捧げもって老人の元に持っていく。その小さな肉片からは、通常の物理では考えられないほどの血が溢れ続けている。肉塊全体から切り離されてもそれは痛みに苦しむように震え、血で泡立つその表面に新しい眼球がいくつも生まれようとしているのも見える。

「神の奇跡が、永遠にあなたと共にありますように」

「アーメン」

そう言って神父はその肉片、すなわち御体を老人の舌の一つの上に置いた。そしてそこに助祭が御血を注ぎ込む。老人のすべての口が閉じられ、ごくりと喉がなった。

古い目がすべて閉じられ、新しい目が開いた。そして老人は車椅子から立ち上がる。萎えた古い脚ではなく、新しい脚で。

「あなたにもう病者の塗油は必要ない。あなたはもう病者ではない。あなたはもう神と共にあるもの。あなたが永遠に神と共にありますように」

「アーメン」

老人はゆっくりと肉塊の方に歩いていく。肉塊の目が一斉に老人を見る。肉塊の口が一斉に呻きのような声を出す。それは、獣の唸りのようでもあれば、恍惚境に陥った人の語る異言のようでもあった。

神父が肉片を切り取った傷口が次第に大きく縦に裂け、その割れ目の周囲からヒトデの管足のような細い手がいくつも生え始める。老人の体からも同じような触手が生え、お互いに絡み合っていく。老人はいつの間にか、口々に肉塊と同じ歌を歌い始めていた。理解はできないものの、それが歓喜の歌であることは、なぜかわかった。まるでその声が脳内に直接響いてこちらの感情を支配するように、それはわかってしまったのだ。

目の前で老人の肉体は人の形を失っていく。どこが頭でどこが胸で、どこが下半身なのかわからなくなっていく。そうして最後には肉塊へと飲み込まれていってしまった。すると傷口は塞がれ、声はやみ、すべて目が閉じられる。人一人分を飲み込んだはずの肉体は、わずかに大きくなっただけのように思われた。

茫然自失としている私に神父は声をかけた。

「明日のミサに出席しますか? もし洗礼を受けていただけるなら、聖餐式を共にすることも可能ですが」

私は慌てて、仕事の都合で、今日中にドイツを発たなくてはいけないことを理由に断った。

私はとめどめなく溢れる汗を拭きながら、神父と助祭の後に続いて階段を登った。この肉塊がどれだけ切り取っても減らないという奇跡と聖書の魚とパンの奇跡の関係について語る神父の声はうっすらとしか私の脳に届いていなかった。扉が開かれ、ステンドグラスに彩られた日の光が差し込んだとき、ようやく私は行きた心地がして、顔を上げた。

神父と助祭の後頭部から私を見つめていた瞳と目があった。

帰国する飛行機で私は、あれは山海経にある視肉だったのかもしれない、と考えていた。「切り取っても元に戻る」「肉体に影響を与える」という意味でも共通している。ケルトの大釜や聖杯とも関係があるかもしれない、とも考えた。

冷静な分析をするには少し時間が必要だったのだ。

とはいえ、機内食の肉にはとても手がつけられなかったのであった。

解説

作中でも引用しているが池上俊一氏の『狼男伝説』所収の「聖体の奇跡」にインスパイアされて書いた小説である。

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